前田普羅<23>(2022年9月)

< 普羅23 前田普羅の心と「空蝉」>

 今回は、普羅の「空蝉」の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋p56)  空蝉のふんばつて居て壊れけり

 空蝉を凝視しやまない普羅の目がある。その背の割れも生々しく、痛々しくも誕生したいのちがまだ宿っているような空蝉である。その姿を、何かを掴んでいるとか、しがみついているとはせずに、「ふんばつて居て」と詠んでいる。即物具象に始まって、それを超えた精神性の発露があろうか。ふんばって居るのは空蝉であって空蝉ではない。ふんばりは普羅自身のふんばりのようにも思えてくる。それが終には「壊れけり」とまで行く、否、行かずには居れないところが普羅らしい、とも言えよう。
 強靭な詩魂とはいうが、それは精神の絶えざる緊張と軋轢を克服してこそ獲得されるものであろう。この句は『新訂普羅句集』所収の昭和6年の作だが、40代半ばの職を辞して『辛夷』の主宰となって3年目という時期である。「ふんばつて居て壊れけり」は、普羅の心境を探る手がかりともなりそうである。同じく空蝉を詠んだ昭和19年の戦時統制下で『辛夷』の発行も叶わなかったときの作、「空蝉は静かに秋に入りにけり」と読み比べてみても、普羅の置かれている状況と心境の違いは明らかである。

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