<草紙65>「 主宰を迎えて句会 」(富南辛夷句会便り)

 11月8日に初冠雪となった立山連峰が窓に眩しい。本日14日は、中坪主宰を迎えての句会だ。句会に先立ち、主宰の「北日本新聞文化功労賞」受賞を祝って花束を贈り、記念撮影を行った。華やいだ雰囲気の中、主宰から一句ずつ丁寧な添削指導をいただいた。投句には秋の食べ物の季語が多く、おいしい話題で会話が弾んだ。主宰も、好物の甘柿はもちろんだが、渋柿も吊るし柿にして楽しんでいることや、道の駅では真っ先に渋柿や木通を探してしまうことなどの話をしてくださった。

 最後に、主宰から「年を取ったから良い句が出来なくなったと聞くことがありますが、年を取ったからこそ出来るようになることが多いのです。例えば、畑仕事、散歩、草花の手入れなど。これらをじっくりと味わう時間があります。また、ゆったりとした旅では、日差し、雲、風の動きなどに気付けます。忙しい若者にはできないことができるのです。いくつになっても味わうこと、感じること、それが何よりなのです。」と励ましの言葉をいただいた。

 句会での季語は、「豊の秋」らしく、芋、林檎、銀杏、栗、零余子、木通、柿などだったが、夕餉のための零余子採りや、裏山に分け入っての木通採りの句など、里山の地域らしい生活の句が詠まれていた。

 投句のあった季語に合わせて『前田普羅 季語別句集』より3句。 

  芋の葉の月に面を傾けぬ

  しみじみと日を吸ふ柿の静かな

  拾ひ来て畳に置きぬ丹波栗

                       康裕


<草紙64>「 報恩講 」(富南辛夷句会便り)

 報恩講の案内をお寺の掲示板に見かけるようになってきた。このあたりでは本山である西本願寺の1月の報恩講に先立ち、10月から12月にかけて法会があり、私の門徒寺では、「ほんこさん」 と呼ぶ報恩講が10月26日に行われた。読経はご住職や付き合い寺院の住職の皆さんで、法話は布教講師がなさるが、昨年から若院(じゃくいん:住職の息子さん)よる「親鸞聖人伝絵の絵解き」が加わった。聖人伝絵は四幅の軸に描かれていて、若院が指示棒を使いながら説明してくださる。若院の良く通る声が心地よく、その穏やかな口調にも若院の人柄が表れて爽やかな気持ちになった。

   報恩講絵解きの若院声とほる  康裕

 さて、今月の句会で投句のあった季語は、花野、秋の虹、木犀、芒、刈田、朝寒、草紅葉、木の実、栗飯、秋風、新米などで、すっかり秋めいたものとなった。

 投句のあった季語に合わせて『前田普羅 季語別句集』より3句。

  風出でて人を押しゆく花野かな

  花芒平湯の径にかぶされり

  月山に向けばつめたし刈田径 

                       康裕


<草紙63>「 秋耕 」(富南辛夷句会便り)

 例年8月のお盆を過ぎると、収穫を終えた茄子やトマト、胡瓜、ピーマンなどを抜いて土を打ち返す。しかし今年の衰えを知らぬ猛暑に堅くなった土を打ち返すのはきつい作業だった。ミニ耕耘機を使って耕すが、畝作りは鍬を使って一振りずつの作業だ。ひと息入れるときには曲げていた腰をゆっくり反らし、立山連峰を仰ぐ。しばし、山々と語り、再び鍬を持つ。どうにか畝ができると大根蒔きだ。しかしまた、とんでもなくスピードの遅い台風のため大根を蒔くタイミングにも悩み、いよいよ異常気象が身近に迫ってきていることを実感した。

 8月の句会は都合により9月半ばの開催となった。そのため投句のあった季語は、梅雨明、炎暑、暑し、蝉、立秋、盂蘭盆、迎火、墓参り、残暑などで、夏から秋へと季節の移ろいの見られるものとなった。

 投句のあった季語に合わせて『前田普羅 季語別句集』より3句。

  秋や来る終に淋しさにも慣れず

  迎火のひとときこがす芦荻(ろてき)かな

  故郷の残暑に帰りきたりしか

                       康裕