学び26「思ったことを素直に 」

 (原句)まなかひを縺るる雲雀の声激し

 目の前に、いきなり雲雀2羽が縺れるように現れ、激しく鳴きながら飛び去ったことに驚いた句。確かに雲雀の声を聞いたのだが、頭の中では「えっ、雲雀? こんなところに、あり得ん。でもやっぱり雲雀……」と、ただただ驚きの出来事を句にした。教室で、中坪先生が「雲雀なんだけどなぁ、そんなはずはないだろうなぁ」という素直な気持ちを句にしたらよいと指導をいただき、「そんなはずはない」と表現することで、逆に「それでも自分は雲雀だと思う」という不思議なニュアンスが感じられる句になった。

(添削)まなかひを雲雀の過るはずもなし

ししまる 俳句教室

学び25「『だから』とならないように 」

(原句)遠回りしてもう一つ用事日脚伸ぶ  

 まだまだ寒い2月でも、夕暮れも明るくなって、用事も計画より余計に出来た時の句。教室で、中坪先生から、「日脚が伸びた。だから、もう一つ用事ができた、というつながりは、因果関係であり、俳句では控えたいこと。「だから」のつながりを取り去って、頑張っているという「ひねり」を加えればよい。頑張って歩いて、帰宅が遅くなったことでしょうから、そこを句にするとよいでしょう」と指導をしていただいた。頑張った自分と、日脚が伸びて嬉しい気持ちを表現できた。  

(添削)遅れてももう一歩き日脚伸ぶ

          アイスティー 俳句教室

学び24「 傍観者から主体者へ 」

(原句)誰が汲むや雪の足あと泉へと 

 瓜破清水へと続く足あとを見て、まだ雪があるのに名水を汲みに行く人のことを思った句。教室で、中坪先生に「瓜破清水」ですから「清水(しょうず)」でよいです。また、この句は、捻りをきかせていくと、味わいが変わっていく句です。

①先ず、原句は、「足あとを見ている傍観者」の立場です。

②そこから、一捻りをします。「自分が行こうと思っていたら、先に行く人がいた」とすると 

(添削1)先客や雪の足あと清水へと

③もう一捻りして時間を入れると、「朝早く来て、自分が一番かと思っていたのに、もう早くも来ている人がいる」という意味合いが生まれます。

 このように傍観者から「自分」を主体にする指導をしていただき、自分の気持ちと行動が句に見える、生き生きとした句になった。

(添削2)早や汲むや雪の足あと清水へと

笹百合 俳句教室

学び23「 言いたいことのために、場面を転じる 」

(原句)除雪車のチェーンの映えて車庫の窓

 雪の日が続いた後、久しぶりに晴れ上がったので散歩に出ると、倉庫のような広い車庫に除雪車があり、銀色のチェーンが、車庫の窓からの光を受けて輝いていた情景を句にした。教室で中坪先生に、「除雪車のチェーンに着目したのはおもしろいですが、『車庫の窓』が読者にはわかりません。感動のポイントは『光るチェーン』です。この語が俳句として力を発揮できる場面は、寒さの緩んだ昼ではなく、夜明け前の出動の場面でしょう。事実を基にしながらも、『言いたいことのために、場面を転じる』ことも、推敲で大事なことです」と指導していただいた。

 そこで、夜明け前に場面を変えると、雪の中に出動しようとする緊迫感、チェーンを光らせている雄姿、除雪車のライトの強い光、そしてエンジン音までもが聞こえる句になった。

(添削)除雪車のチェーン光るや夜明け前

亜紗 俳句教室

学び22「 何かをプラスして印象的に 」

 俳句教室で、句友の俳句から、私が学んだことを紹介します。

(原句)バスの客我ひとりかな冬初め(由美子) 

<中坪先生の添削指導> バスに一人だけという条件はよいが、上5、中7を丁寧に言い過ぎています。バスに一人という状況は多くの人が経験していますので、それだけですとパンチが足りない。そこで、何かプラスできるものはないかと考えてみましょう。例えば「自分の内面」を詠むか、「窓の外」を詠むか。その時の「天候」を詠むか、「行き先」や乗っている「理由」など。

 そこで句友は、その時の様子を思い浮かべて、バスの中の空気や匂いの独特さに気が付きました。

(添削)ひとり乗るバスの匂ひや冬初め 

 この句の場合、句友の気づきを誘導してくださる先生の添削により皮膚感覚の感じられる句となった。自分の句を自分で推敲する場合、どの部分に推敲の余地があるのかを見つけなければならない。カルチャー教室での私の学びは、まだまだ続く。                                                                                                                 

おかめいんこ 俳句教室

学び21「 似て非なる『写生と限定』」

 今日の俳句教室で、句友の俳句2句から、私が学んだことを紹介します。2句とも「写生と限定」について考えさせてくれた句でした。

(原句1)ドリップの香り膨らむ菊日和 (由美)

<中坪先生の添削> この句の事実は「ドリップで淹れたコーヒー」ですが、「サイフォン」で淹れるコーヒーもあります。また「家」で淹れる場合もあれば、「コーヒー専門店」で、といろいろな場面があります。ですから「ドリップ」と限定するよりも、単純ですが「コーヒー」とした方が、読者はそれぞれ自分の好きなコーヒーを淹れる場面や香りを想像することができます。限定しないで「コーヒー」という言葉のもつ力を信じるとよいでしょう。 

(添削) コーヒーの香り膨らむ菊日和

(原句2) 待つことに慣れて喫茶の窓紅葉 (由美)

 <中坪先生の添削> これはこれでよいのですが、ここでも「喫茶」と限定せずに、単に「窓辺」とした方が、待っている場所や人物の姿を自由に想像できて、「どこの窓辺?」「どんな窓辺?」「窓辺のどこにいるの?」「窓の外で見ている?」などと、想像がどんどん広がっていきます。「写生と限定」は「似て非なるもの」で、「写生」ができているときは「限定」すると損をすることがあります。

(添削)待つことに慣れて窓辺の紅葉かな

 私は「写生をどこまで限定して表現するか、これは難しい」と思いました。今日は、句友の2句から「読者の想像がより広がるのはどちらだろうか」という観点で推敲を重ねていくことが大切であると学びました。 

おかめいんこ 俳句教室

学び20「 抽象的な句 」

(原句)捩り花ことばひとつに涙ぐみ  

 捩り花を見ていたら、自分の生きてきた人生の、明るいことや暗いことを連想して、涙が出てしまった時の句。抽象的な表現になってしまいましたと、教室で中坪先生にお話すると、先生は「抽象的でも、『自分を詠む』としてOKです。今、お話された言葉通りに、句を作りましょう」と、添削していただいた。自分の人生を振り返った時、確かに、涙ぐむような暗だけではなく明もあったので、両方の気持ちを、落ち着いて表現できたと思う。

我が生の明と暗とて捩り花 

  ひつじ雲 俳句教室

学び19「 説明しすぎない 」

(原句)風見えねどひらり脱ぐ竹終の皮

 風がないのに、最後の竹の皮が、ふわりと散ったときの驚きの句。教室で中坪先生は「俳句らしい場面で、しっとりとした句でよいですね。ただ、『風みえねど』や『ひらり』と丁寧に説明しすぎているので、言わないで写生をしてみましょう。語順も、竹の皮の散った驚きを先にした方が、余情を感じやすくなります」と指導していただいた。細かく説明しないことと、語順など句の調べを声に出して整えることで、風情が感じられる句になった。                                    

終の皮脱ぎたる竹や風も無し

ふみ子 俳句教室

学び18「『行為』は写生でわかる 」

(原句)水澄みて鯉の子どもを数ふなり

 池に大小の鯉がいて、小さい鯉は子どものように思えて数えてみた句。教室で中坪先生は、「小さい鯉を子どもと見る面白い句になっています。『数ふ』が散文的なので、もっと写生してみましょう。どのくらい子どもの鯉はいましたか」とお尋ねになったので、10匹以上はいたことを伝えると、「では、『十あまり』とすれば、作者が数えていることもわかります。」と添削していただいた。「数えた」と言わなくても、「数えている自分の姿」が見えることがわかった。

水澄みて鯉の子どもの十余り

ししまる 俳句教室

学び17「 焦点は何か 」

(原句)鮎釣人中州に鷺に似てひとり

 釣人の孤独を楽しむ様子を詠んだつもりですが、曖昧な表現になっているようです。添削句はいずれも焦点が明確に写生され、納得できます。
  <中坪先生の添削>
 全体的に語っているので、川の様子や風、水の勢い、孤独感など、中心となる何かが欲しい。そこで、絞っていく。例えば、
添削句① 釣人の流されまじく中州にて (踏ん張って釣り竿を握っている様子がわかる)
添削句② 鷺には非ず鮎釣る人の中州かな (釣人を鷺に例える句はよくあるので、鷺でないと言うことで、鷺のような孤独感を出す)
添削句③ 鮎釣りの流れは胸まで来てをりぬ (川の中であれば、危険な感じが出る)
 どこをどうピックアップするか、それが俳句の楽しさである。

こうき 俳句教室

学び16「 音を詠む、自分を詠む 」

(原句)新しき俎据ゑて瓜刻む

  新しい俎に替えて包丁を使ったところ、今までとは違う音で、その音がとても気に入ったことを句にした。 音の言葉を言わずに「音」を感じられる句にしたかった。 教室で中坪先生に「俎の音はどう違うのか」と尋ねられたので、「今までの、白いプラスチックの俎の音とは違い、檜の俎は、軽やかで高い音。この高い音がとても良くて句にしたかった」と伝えた。 すると、「檜の俎の音を『高い音』というのは、普通で一般概念。その音を気に入って聞きたいと思っている自分を句にするのが良い」として「俎の音聞きたくて」と添削してくださった。この言葉通り、その時々の包丁使いに合わせて生まれる俎の音を楽しんでいる。

俎の音聞きたくて瓜刻む

   女郎花 俳句教室

学び15「 一番大事なところを切り取る 」

(原句)更衣させ転院の朝かな  

  妹が転院することになり、その日の朝、冬用から夏用のパジャマに着替えさせた時の句。 俳句教室では、中坪先生から「転院の朝」に「自分のしたこと」を尋ねられた。 そこで、「入院している妹がいること、暑くなってきたので夏用のパジャマに替えてあげようと、妹に似合いそうなパジャマを選んで買ってきていたこと、それに着替えさせて出発の準備をしていたこと」などを伝えると、先生は「その一連の中で、妹さんのためにパジャマを選ぶところが一番大事なところ」と指導してくださった。 自分史として、妹への思いを表現できた句とすることができた。

妹の夏用パジャマ選びけり

<先生の教え>【読者は、なぜ妹さんの? と思う。 そこから読者は想像を始める。 いろいろな想像の中に、妹さんは病院にいるのかな、ということも出てくるだろう。 写生の、一つの立ち居振る舞いなのだが、そこに読者の読みが深まっていく。 平凡かもしれないが自分の立ち居振る舞いを詠む、それが俳句。 】

                       みやこ 俳句教室

学び14「 迫力を 」

(原句)黒南風の夜更けに拐ふ白薔薇 

 夜中に黒南風が強く吹き、綺麗に咲いた白薔薇を散り飛ばしてしまったことが、悔しくて悲しくて、黒南風を怪盗にみたてて、夜の闇に紛れて美しい白薔薇を拐(さら)っていったというイメージにして作った句。俳句教室で、中坪先先生に、「『拐ふ』の字には、何かの中から『ピックアップして』もっていくという感じがある。花一輪をもっていったというよりは、薔薇もたくさん咲いていたことでしょうから、その薔薇たちを一気に黒南風がもっていったというように迫力を出した方がよい」と指導していただき、「拐う」ではなく、風が「吞み込む」という言葉をいただいた。たくさん咲いている白薔薇の写実性が高まり、黒南風の季語のもつ不気味な感じも際立ったと思う。

薔薇垣の薔薇呑み込んで黒南風は

アキ 俳句教室

学び13「『季語が動く』ことをどのようにとらえればよいですか? 」

(原句)蜜豆や楽しげに愚痴言ひ合ひて 

中坪先生:「自分史」の句として見るならば、その時の季語が真実なので、それでよいでしょう。また「文芸」として見て、より句の趣が深まる季語や、より読者に共通性のある季語を持ってくるのもよいでしょう。「蜜豆を食べた時」というのは作者には真実ですし、若い人の明るいイメージがします。では「蕗をむく」としてみましょう。すると、また違った人物像や、人生の味わいが出ます。

(参考)蕗をむく楽しげに愚痴言ひ合ひて

吾亦紅 俳句教室

※季語が動く……別の季語を持ってきても、句が成り立つこと

学び12「 他人の頭で詠んでみる 」

(原句)夕暮れて殊に明るき山法師

 真っ白な山法師の花の一群が、夕暮れになって、より一層白く浮かび上がっている美しさを句にした。 教室で中坪先生は、「原句で直すところはないが、『殊に』が漢文調で強い響きがあるので、虚子風に力を抜いて詠んでみるのもよい。虚子なら、普羅なら、〇〇なら、というように他人の頭で詠んでみるのも、発想の転換となる」と指導していただいた。

(参考)夕暮れて明るきものに山法師

<先生の教え>【皆さんは、自分の句を詠むことに一生懸命になりますが、いろいろな人の句を読んで学ぶことも、とても大切なのです。 毎日、句を『読み』ましょう。】

ライチ 俳句教室

学び11「『今』の一字 」

(原句)春霖を項垂るごときクレーンかな

 今日は工事が休みで、クレーンが雨の中うなだれているように見えたという句。 いつもは力強く動いているクレーンなのに、と思って作った句。 教室では、中坪先生から「クレーンの、今日は休みで寂しい姿と、いつもは力強く動いている姿、この反対の姿が面白いので、『今』を入れて『いつもは~、でも今日は』という意味をもたせましょう」と指導していただいた。 そこで「項垂るごときクレーン」を「今項垂るるクレーン」として、さらに読みやすく表記を整えた。 「今」の一字で、「今」の姿がはっきりと浮かび、同時に、今でない時間をも感じられる句になった。

春霖を今うなだるるクレーンかな 

ししまる 俳句教室

学び10「『一般概念の句』と『写生の句』の違い 」

 6月の俳句教室では、「一般概念(一般論)」と「写生」の句の違いを、インパクトのある例えで、中坪先生が教えてくださいました。 蛇が怖い私には、よい学びになりました。

◎先生;「蛇が道にいた」と書かれた句は、報告、一般論の句で、読者は「そうですか」と返事をして終わります。 (→作者は怖かったのだろうなと思いますが、私はそう怖くはありません。 )

◎先生;「どんな蛇か、色、姿、様子など」を写生した句には、読者は「それは怖かったですね」「大丈夫でしたか」と、読者の方から寄り添ってきてくれます。(→蛇の色や姿を想像しただけで、私は寒気がしてきました。そんな蛇に出会ってしまった作者を心配するほどです。)

 苦手な蛇のおかげで、「写生の力」を理解できました。蛇にも感謝をしなくてはなりません。

亜紗 俳句教室

学び9「辛夷俳句の心がけ」

 令和3年5月号の俳誌『辛夷』に、お二人の方が同じ言葉を載せておられました。それは、『心を偽らず』『言葉を飾らず』『身辺足下を詠む』です。辛夷の方々がいつも心がけているこの言葉は、何度目にしてもよいものだと思いました。俳句教室でも、「自分の立ち居振る舞いを句に」、「かっこいい句を作ろうとしてはいけない、それは左脳で作った句」、「右の脳で、感じ、言葉にしようとすることが大事」等々、中坪主宰の厳しくも優しい言葉が何度も繰り返されます。良い句にしようとしてレトリック(美辞、言葉の上だけのもの)に走らず、素直に、正直に、うまくできなくてもその時の自分を受け入れて、自分史となる俳句を作っていければと思いました。

 紅茶子 俳句教室

学び8「日を改めて選者の立場で」

(原句)雪形や鍬持つふたり今日も過ぐ

 自宅から立山、大日岳、剱岳などの立山連山が一望できる。四月半ば頃から、雪嶺の稜線が日を追ってくっきりとし、その山肌に残っている雪の形や雪が解けて黒くなって見える形が、いろいろに想像できて楽しい。畑は大まかには耕耘機で耕すが、畝作りや小回りは、やはり鍬の出番。掲句は妻と三日がかりで畝作りした時の句。毎日の頑張りを表現するのに「今日も過ぐ」という時間経過を表す言葉が見つかり、満足感に浸っていたところだった。

 ところが句会で中坪先生から、「鍬を持った二人が、今日も通ったのですか」との問い。はっとした。ご指摘のとおりだ。「句ができたら、日を改めて選者の立場で読むと良い。」これは先生からいただいた教訓だが、活かされていなかった。「鍬持つふたり」の写生が不十分だったのだ。先生の助言の下に推敲した結果が次の句。地貌に沿う句になったと満足している。

  雪形や妻と鍬ふり今日も過ぐ

                         康裕 富南辛夷句会

学び7「季語との距離感を考える」

(原句)指の血も厭わぬ誘引師走空 

 「雪が降る前に」と、伸びきった薔薇の蔓を支柱に誘引しているうちに棘で指を傷つけてしまった。それでもなお、花が咲いた時に綺麗な形になるように薔薇の蔓と格闘した時の句。俳句教室では、中坪先生から①「何を誘引しているのか、読者がわかるように書くこと」、②「薔薇の『近景』と師走空の『遠景』の組み合わせだが、『近景』の手元の薔薇の誘引に必死で、視点がそこにあるのに、『遠景』はおかしい。もう少し近くに季語を持ってくるとよい」と指導していただいた。その日は朝から時雨模様だったので、薔薇の蔓もしっとりと濡れていたことを思い出し、「朝時雨」とした。また、「厭う」を文語の「厭ふ」に直して表記を整えた。 以前の句会で「即き過ぎですね」と指導を受けた事があり、今度は思い切り離そうと「師走空」としたが「離れ過ぎ」。季語と別の言葉の取り合わせは「付かず離れず」、適度な距離が必要であり、この感覚を早く身に付けたいと思った。

指の血も厭はず薔薇を朝時雨

沙弥香 俳句教室

※「即き過ぎ」とは、季語と別の言葉との関連性が近く、ありきたりで面白みがないこと。 ※「離れ過ぎ」とは、季語と別の言葉との関連性が離れすぎて、共感や趣が生じないこと。

学び6「感情を言わずに、余韻を残す」

(原句)古巣抱き空に鳥恋ふ冬木かな

 12月、玄関先の山法師もすっかり葉を落としてしまった。ふと見上げると、鳥の巣を発見‼ 雛が無事に巣立っていくまで、しっかりと山法師が守っていたに違いない。そう思ったとき、今はもういない巣に山法師の寂しさを感じて作った句。俳句教室では、中坪先生から「古巣は春の季語だが、この句での主たる季語は冬木なので季重なりでも大丈夫。「かな」の切れ字もよい。しかし、「恋ふ」が強すぎるので、トーンダウンをした方がよい。感情をわかりやすく言いすぎると、読者の味わう余韻をとってしまう。」と指導をいただいた。木の中心にしっかり巣を抱えている山法師の姿に少し感情移入してしまったので、対象を客観的に写生することの大切さを学んだ。

古巣抱き空に鳥見ぬ冬木かな

蓮子 俳句教室

学び5「ポイントを絞る」

(原句)風なくも枯葉ふれあひ降りてくる

 落葉の道を歩いていると、落葉を踏む音が心地よい。しばらくして頭上でも音がしていることに気がついた。見上げると、風もないのに枯葉が降ってきていて、「枯葉が落ちながら触れあって音を立てている」と驚いた時の句。以下が、俳句教室で中坪先生に指導していただいた過程。

①「文章でわかりやすく説明しすぎた句。情景を聞くと言いたいことが多いので、キーワードを決めればよい。この時どう感じたのか?」→「足元の音のほかに上にも音があることに驚いた」

②「するとキーワードは音。では、足元の落葉を踏む音か、頭上の音か、どうするか? どの言葉がないと困るのか。何を焦点とするかを絞る。」→「焦点は『枯葉が触れ合って落ちてくる音』。初めは何かわからなかったけれど、それに気づいたので」

③「では原句は、触れて落つる音と気づかず落葉径、として、上五中七で、読者に「何のことかな」と思わせて、下五で、読者が「ああ、そうか」とわかる仕組み。これをヒントにして作ってみてほしい」

 このように段階を踏んで指導を受けることができ、いろいろ言いたいことがある中から、ポイントを絞っていくことが大切だとわかった。

触れ合ひて落つる音あり落葉径

おかめいんこ 俳句教室

学び4「よく見て、具体的に」

(原句)賀状来る母の字のまま卒寿なり

 元日生まれで90歳となった母から賀状がきた。手が痺れてうまく字が書けないからもうやめようかと言いながらも書いて送ってくれた。賀状を手に、見慣れた母の字に今年も頑張ったねと作った句。俳句教室で、中坪先生から「”卒寿”は前書きにして、”母の字”をよく見て」とご指導いただいた。母らしい字形だ→もっとよく見る→さすがに少し筆圧が弱くなっている。そこで先生から字が「淡い」という言葉をいただいた。さらに、「少し」→「いくらか」→「いささか」という推敲も教えていただいた。語順を整えて、母の頑張りを表現した記念の句となった。

母の字のいささか淡き賀状来る(母、卒寿)

さと 俳句教室 

学び3「作句上のポイント」

 令和2年度の北日本文芸俳壇の年間賞が発表され、その総評に中坪先生が作句のポイントを載せておられました。

(引用)作句上のポイントは次の通りです。まずは季語の説明にならないこと。二には出来事などの報告とならないこと。三には社会通念を述べないことです。日常の中の一コマを具体的に描くことが肝要です。他人の作品を味わうことも、ご自身の俳句感覚を磨いてくれます。(「北日本新聞」令和2年12月28日)

 私は俳句教室で先生の指導を受けていますが、先生の作句上のポイントを、俳句歴4年の自分に当てはめてみました。まずは、俳句を始めて1ケ月ほどたった頃、松の木にきれいな青い実を見つけて喜んで句にすると、思い切り「新松子(しんちぢり)」の季語の説明でした。それからは、きれいだと思うことを句にしても「それは、季語の説明だ」と、まず思うことにしました。句作の基本として先生はいつも「季語と自分の立ち居振る舞い」とおっしゃいます。

 二では、出来事の「報告の句」と「そうではない句」の違いもまだ明確ではありません。句に「詩情があるか」「独りよがりの詩情ではないか」と悩みつつ作句しています。失敗すると、先生や句友がアドバイスをしてくれます。こうして失敗を活かすことや、他の人の句をたくさん読んで「詩情」を感じとれるようにすることが大切だと思っています。

 三の「社会通念」では、自分の句が「それは当たり前のことですよね」と言われないか、時間をおいて見直すことにしています。これをチェックするのは難しく、自分の思い込みが先に立ってしまいます。手書きではなく活字にして見直すと気づくことが良くあります。

 句が説明や概念の表現になっていないかとチェックして、一コマの切り取り、具体的な表現にと、いろいろ推敲しだすと時間があっという間にたっています。そうして納得した句ができると、とても嬉しくなります。先生は「俳句は自分史」とおっしゃいます。私にも出来・不出来は別として4年間の自分史ができました。令和3年の始まりにあたり、先生の作句上のポイントを心に刻み、今年も句作を愉しんでいきたいと思います。

亜紗 俳句教室

学び2「自分の身に近づける」

(原句)縁側の藪蚊多きも里の家

 遠方の実家に高齢の母が独りで住んでいるが、コロナ禍で帰省できず、6月下旬の自粛解除ですぐに向かった。案の定、庭や畑は草深くなっていたが、実家に来られた安心感からできた句。俳句教室では、中坪先生から下五「里の家」が容易な表現であると指導を受け、状況説明の時の「母が元気でよかった」という私の言葉から「母達者」という言葉をいただいた。漠然とした「里の家」に比べて、ぐっと自分の身に近づいた句になったと嬉しかった。また「達者」という言葉を普段使わない私であったが、「元気」と「達者」のニュアンスの違いを句友から教えてもらい、高齢の母にふさわしい句になったと、また嬉しくなった。

縁側の藪蚊多きも母達者

美雪  俳句教室

学び1「読み手に伝わるか」

(原句)花卯木小道を閉ざす粗朶の壁

 この句は、水芭蕉の森の草刈ボランティアに参加したときの句。
 水芭蕉の湿地に入る小道に粗朶が組まれて、通せんぼしていた。草刈リーダーはこれを「壁」と言うとの説明。そこでこの句が生まれた。句会では、中坪先生から、読み手には分かりにくいとの指導。指導を受けてみると「壁」という言葉に捕らわれ過ぎたことに気づく。指導を受け、推敲の結果次の句となった。

粗朶組んでとざす小道や花卯木

康裕 発行所句会