< 普羅60 前田普羅の「 恋心 」>
普羅には「恋心」を詠んだ句がありました。主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』から紹介します。
(抜粋p110) (昭和23年3月の作)
くりくりと君がたばねる韮の玉
窓前に韮の闇あり奈良遠し
「奈良遠し」の奈良は奥田あつ子さんのいる大和関屋であり、「君がたばねる」の君とは奥田あつ子さんその人であろう。同年の2月には普羅の「奥田あつ子さんよりの文通ふつりと絶ゆ、暗き想ひす」との記述も残っている。作品の上では、韮をたばねる君がいなくなった韮畑の闇。そして韮の独特の強い匂いは普羅の狂おしき心を象徴する。連句仕立てのあつ子恋である。
< 普羅59 前田普羅の「 おわら(歌詞)」>
9月1日、「おわら風の盆」の始まりです。八尾町の「おわら」を見に行くと、目では踊りに夢中になり、耳では胡弓や三味線、太鼓、囃子、そしてみごとな高音の唄声に心を奪われます。ですが、唄の歌詞をじっくり聴いて味わうことがありませんでした。それに気づかせてくれたのが、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』です。おわらの歌詞は、八尾俳壇で活躍されていた俳人や、高浜虚子、野口雨情など八尾を訪れた文人墨客たちの歌詞、中坪達哉主宰も選者を務めたことのある懸賞募集当選歌など、たくさんあります。端唄を口にした普羅も、楽しんで作ったことでしょう。主宰の著書『前田普羅 その求道の詩魂』から「おわらの歌詞」と普羅の歌詞を紹介します。
(抜粋p178) 普羅と越中おわら
おわらの歌詞は、俳句の5・7・5と異なり、7・7・7・5が基本形である。ただ、最後の5音の前に必ず「オワラ」の囃子3音が入るので、実際には7・7・7・8と言えるかもしれない。よく耳にする唄の一つに
唄の街だよ八尾の町は 唄で糸とる オワラ 桑も摘む (中山 輝)
があり、そして男女の仲を唄ったものを一つ挙げれば、
ゆらぐ吊橋手に手を取りて 渡る井田川 オワラ 春の風 (小杉 放菴)
ちなみに、「越中で立山、加賀では白山、駿河の富士山、三国一だよ」また「浮いたか瓢箪かるそに流れる、行く先ア知らねどあの身になりたや」は囃子である。囃子としては長いので、長囃子と称される。
ところで、普羅もおわらの歌詞を作っている。「小原竹枝」と銘打った4作である。竹枝とは土地の民謡という意味である。
繭は車で車は馬で 馬は笠着て幌かけて
糸はむらなく情けはながく 八尾あねまの八重だすき
西は室牧南の野積 東卯の花梅の花
雪が来たそな牛岳様に あねま出て見よ枠とめて 普 羅
「あねま」とは若い女性。「卯の花」村とは、辛夷老大樹がある現在の角間をいう。
(『辛夷』平成16年10月号掲載)
<参考>
おわら節の唄と囃子の構成を知っておくと、それぞれを味わうことができ、聴く楽しみが生まれます。いろいろ違いはありますが、基本は「囃子・上の句・囃子・下の句」で、前後に「長囃子」が入ります。例を挙げれば、
<越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ>
<歌われよー わしゃ囃す>
二百十日に風さえ吹かにゃ <キタサノサー ドッコイサノサー> 早稲の米喰うて オワラ 踊ります
<三千世界の松の木涸れてもあんたと添わねば娑婆へ出たかいがない>
そして再び<歌われよー わしゃ囃す>と繰り返され、哀調を帯びた「合いの手(間奏曲)」とともにおわら節が続いていきます。
< 普羅58 前田普羅と「 おわら風の盆 」>
編み笠を目深に被った男女が、胡弓や三味線、越中おわら節の唄に合わせて、情緒豊かに坂の町を踊り流していく「おわら風の盆」は、二百十日の風を鎮め、豊年豊作を願う伝統行事です。江戸時代から踊り継がれ、今もなおニューヨークタイムズの「2025年行くべき52カ所」で紹介されるほど人々を魅了し続けています。主宰中坪達哉は、著書『前田普羅 その求道の詩魂』で、「おわら風の盆」を紹介するとともに、普羅らしい文体で記された「風の盆」の夜を紹介しています。その部分を抜粋して紹介します。
(抜粋p177) 普羅と越中おわら
「越中八尾おわら風の盆」で知られる富山市八尾町は、富山市中心部から南へ17キロ、井田川に沿った高い石垣に支えられた坂の町である。9月1日から三日間の本番そして、それに先立つ12日前からの前夜祭に11の町がそれぞれにおわら絵巻を競う。
踊り手は、優美な色柄の木綿の浴衣の女性と羽二重の黒の法被と股引き姿の男性。ともに編笠を被っているが、驚くことなかれ、高校生などの若手が主体である。このような若者たちが優美で艶っぽい越中おわらを見事に踊り切るのも、年少より「おわら」の世界に浸り、修練を重ねてきたからであろうか。
また、哀切なる音色で人気のある胡弓や三味線に太鼓の音、一番むつかしい民謡とも言われるおわら本調子の高音の唄、その唄をリードして踊りとの調和を図る囃子、これら地方(じかた)衆の年季の入った芸もおわらの花と言えよう。
(『辛夷』平成16年10月号掲載)
(抜粋p181) (昭和5年、二百十日会の合同句集『二百十日』での普羅の序文「風の盆」より)
近づく三味線の音、門口で高まったかと思ふと、直ぐ、かすかになって通り過ぎる唄声、引く浪のやうな聴衆の足音、おくれた聴衆のチラバラな足音、閉ざされた家の内でも、蚊帳の中で人々は耳を澄まして居る。月は牛岳の上に小さい。その峯からは絶え間なく雲を吐いて居る。午前三時の時計が鳴った。間もなく、又廻って来た「おわら」を夢うつつに聞いた自分は、すでに戸のすき間が薄明になって居るのを見た。さすがに聴衆も減じたと見え、足音はチラバラであった。
寒い、寒い、軽い掻巻を鼻までかけた。
(『辛夷』平成16年2月号掲載)
最後に、中坪達哉主宰の風の盆の句「町裏は星を殖やして風の盆」を紹介します。普羅の文と併せて、おわらの情緒を味わっていただけると思います。