< 普羅24 前田普羅と「小さな生き物」>

 今回は、普羅の見つめる「小さな生き物」の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋p80)  蟷螂の怒りて草を落ちにけり

 昭和21年の作にて丁寧な前書きがある。「9月7日北陸荘句会。此の日廣島雲山君より刻石届く、著者検印とす」というものだが、一句の内容には関係ない。たまたま記録に留めたいことがあって句に添える、その種の前書きの典型的な例である。
 一読、若き時代の句のような、社会の非条理や矛盾に苦悶した自らを赤裸々に詠んだような雰囲気もあるが、昭和21年といえば普羅も還暦を過ぎている。さすがに「人殺す我かも知らず飛ぶ蛍」のような句でもなかろう。「蟷螂」の真に迫った写生句のようでもある。が、「蟷螂の怒りて」は、蟷螂の姿を借りた普羅自身のこころのようにも思えてくる。そう解釈したいがための深読みに過ぎるかも知れないが。
 それはさておき、蟷螂のような小さな生き物を見守る普羅の俳句世界についても触れなければならない。それは、「膝折れの蛼も啼け十三夜」「かへり来て顔みな同じ秋の蜂」「梅雨の蝶たかく揚りて風に遭ふ」「葭切や郭公や梅雨の風に飛ぶ」などというもの。そこには、小さないのちの在り様を思い、その営みの世界に埋没している普羅がいる。


< 普羅23 前田普羅の心と「空蝉」>

 今回は、普羅の「空蝉」の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋p56)  空蝉のふんばつて居て壊れけり

 空蝉を凝視しやまない普羅の目がある。その背の割れも生々しく、痛々しくも誕生したいのちがまだ宿っているような空蝉である。その姿を、何かを掴んでいるとか、しがみついているとはせずに、「ふんばつて居て」と詠んでいる。即物具象に始まって、それを超えた精神性の発露があろうか。ふんばって居るのは空蝉であって空蝉ではない。ふんばりは普羅自身のふんばりのようにも思えてくる。それが終には「壊れけり」とまで行く、否、行かずには居れないところが普羅らしい、とも言えよう。
 強靭な詩魂とはいうが、それは精神の絶えざる緊張と軋轢を克服してこそ獲得されるものであろう。この句は『新訂普羅句集』所収の昭和6年の作だが、40代半ばの職を辞して『辛夷』の主宰となって3年目という時期である。「ふんばつて居て壊れけり」は、普羅の心境を探る手がかりともなりそうである。同じく空蝉を詠んだ昭和19年の戦時統制下で『辛夷』の発行も叶わなかったときの作、「空蝉は静かに秋に入りにけり」と読み比べてみても、普羅の置かれている状況と心境の違いは明らかである。


< 普羅22 前田普羅の自然詠④>

 今回は、能登半島の「地貌」の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋p77)  暁の蝉がきこゆる岬かな

 昭和9年刊『新訂普羅句集』には同7年作として「暁の蝉が聞ゆる岬かな」の形で載っている。それが同25年刊『能登蒼し』で再録されて掲句のとおり「きこゆる」となっている。『能登蒼し』への再採は、越中の氷見海岸での作とはいうものの、そこはもう能登半島の付け根ともいうべき地であるからである。「岬かな」の岬とは、今では能登立山シーサイドラインとして観光バスが絶えない、その海岸線の最も富山湾に突き出ている断崖の岬である。その岬にある宇波村からは沖合いの鰤の定置網の形もはっきりと眺めることができる。が、何よりも富山湾の大きな湾曲によって生じる、海に浮かぶ立山連峰の神々しい姿である。そうした暁の大パノラマに天から降ってくるような蝉の鳴き声である。
 ところで手元にある軸では「蝉が」が「蝉の」とある。もう一つ軸があって、これには「啼きゐる岬かな」とある。年月の記載がない染筆のことではあるが、明らかに「啼きゐる」を推敲しての「きこゆる」であろう。染筆しながらも推敲し続けている普羅の句作を垣間見たようで、普羅をより身近に感じるような嬉しい気分にもなる。