< 普羅61 前田普羅の「 霜つよし 」>
普羅の絶唱句「霜つよし蓮華とひらく八ヶ岳」を、飯田蛇笏の名句「芋の露連山影を正しうす」と同じく近景・遠景の構図で、蛇笏の句を意識して作られたと見立てた論に対し、主宰中坪達哉は疑問を呈し、いくつかの著述をもとに読み解いています。その一部を著書『前田普羅 その求道の詩魂』より抜粋して紹介します。
(1)中坪主宰の考え
(抜粋p103)
私は、「霜つよし」は、近景そして景色を踏まえながらも、もっと大きな広く天空をも包み込もうとする普羅の主情あふれる一語である、と解釈している。決して、蛇笏の「芋の露」を意識したものではない、と考える。
(2)飯田蛇笏の「芋の露連山影を正しうす」についての著述
(抜粋p103)
蛇笏の「芋の露」の句について、山本健吉は
【 里芋の畑は近景であり連山は遠景である。爽やかな秋天の下、遠くくっきりと山脈の起伏が、形をくずさず正しく連なっている。倒影する山脈の影も正しく起伏を描き出しているのであるが、「影」はまた「姿」にも通ずるのである。澄み切った秋空に、連山が姿を正すかのように、はっきりと、いささかの晦冥さをとどめず、浮かび上がっているのである。「芋の露」は眼前の平地の光景であり、かなりの拡がりを持った眺めでもある。広葉の露に、秋の季節の爽涼を感じ取ったのである。/秋の山容を表現して遺憾がないと言うべきであろう。「影を正しうす」とは、また彼自身の心の姿でもあったのである。】
と、その著『現代俳句』で述べている。
(3)普羅の「霜つよし」の句についての著述
(抜粋p104)
まず、山本健吉は、その著『現代俳句』の中で
【 典型的な普羅調を打ち出している。代表的な円錐火山をなしている八ヶ嶽の山容を「蓮華とひらく」と形容したのである。一つ一つの雪の嶽さながら白い花弁に当たるのである。だが形容というにはイメージがあまりに直接的であり、強い感動がじかにぶつかってくる思いがする。そこに「霜つよし」という初五の裸の言葉が響き合うのだ。きびしく美しい霜日和である。】
と、「霜つよし」を大きく捉えている。
また、山岳俳人の岡田日郎氏は
【「八ヶ岳」の八つの峰がそれぞれ雪を冠って、八つの白「蓮華」の花びらのように並んでいると見た。その山麓は蕭条とした「霜」枯の景。「霜つよし」も実景が基調になっているにちがいない。贅語のまったくない完璧な表現。(『前田普羅』)】
と、「霜つよし」を、単なる「近景」とはしていない。
さらに、池上浩山人は『現代俳句評釈』の中で、
【 甲府近辺は冬は非常に寒い。それだけにはなはだしく白く地上に結露するのであろう。この霜を強しとまず表現し、八ヶ岳を蓮華といったところに、この山の様相を的確に表現していて妙である。この場合「蓮華とひらく八ヶ岳」と叙することは、何人にも容易であるが、上五の「霜つよし」の語は、よほどの力量と凝視と一致しなくては容易にはできてこない作である。八ヶ岳を詠んだ句として、他にその比類を見ることのできない名作である。】
と、「霜つよし」の一語の重みを説いている。
(4)中坪主宰の結論
(抜粋p105)
「霜つよし」は、蛇笏の「芋の露」を意識したものではなく、天空をも包み込もうとする普羅の主情あふれる一語である。普羅のこの一句は、精神の安寧を求めんがために、大自然の厳しさを愛し、自らを高めんと命を削って作ったものである。
(『辛夷』平成9年2月号掲載)
< 普羅60 前田普羅の「 恋心 」>
普羅には「恋心」を詠んだ句がありました。主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』から紹介します。
(抜粋p110) (昭和23年3月の作)
くりくりと君がたばねる韮の玉
窓前に韮の闇あり奈良遠し
「奈良遠し」の奈良は奥田あつ子さんのいる大和関屋であり、「君がたばねる」の君とは奥田あつ子さんその人であろう。同年の2月には普羅の「奥田あつ子さんよりの文通ふつりと絶ゆ、暗き想ひす」との記述も残っている。作品の上では、韮をたばねる君がいなくなった韮畑の闇。そして韮の独特の強い匂いは普羅の狂おしき心を象徴する。連句仕立てのあつ子恋である。
< 普羅59 前田普羅の「 おわら(歌詞)」>
9月1日、「おわら風の盆」の始まりです。八尾町の「おわら」を見に行くと、目では踊りに夢中になり、耳では胡弓や三味線、太鼓、囃子、そしてみごとな高音の唄声に心を奪われます。ですが、唄の歌詞をじっくり聴いて味わうことがありませんでした。それに気づかせてくれたのが、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』です。おわらの歌詞は、八尾俳壇で活躍されていた俳人や、高浜虚子、野口雨情など八尾を訪れた文人墨客たちの歌詞、中坪達哉主宰も選者を務めたことのある懸賞募集当選歌など、たくさんあります。端唄を口にした普羅も、楽しんで作ったことでしょう。主宰の著書『前田普羅 その求道の詩魂』から「おわらの歌詞」と普羅の歌詞を紹介します。
(抜粋p178) 普羅と越中おわら
おわらの歌詞は、俳句の5・7・5と異なり、7・7・7・5が基本形である。ただ、最後の5音の前に必ず「オワラ」の囃子3音が入るので、実際には7・7・7・8と言えるかもしれない。よく耳にする唄の一つに
唄の街だよ八尾の町は 唄で糸とる オワラ 桑も摘む (中山 輝)
があり、そして男女の仲を唄ったものを一つ挙げれば、
ゆらぐ吊橋手に手を取りて 渡る井田川 オワラ 春の風 (小杉 放菴)
ちなみに、「越中で立山、加賀では白山、駿河の富士山、三国一だよ」また「浮いたか瓢箪かるそに流れる、行く先ア知らねどあの身になりたや」は囃子である。囃子としては長いので、長囃子と称される。
ところで、普羅もおわらの歌詞を作っている。「小原竹枝」と銘打った4作である。竹枝とは土地の民謡という意味である。
繭は車で車は馬で 馬は笠着て幌かけて
糸はむらなく情けはながく 八尾あねまの八重だすき
西は室牧南の野積 東卯の花梅の花
雪が来たそな牛岳様に あねま出て見よ枠とめて 普 羅
「あねま」とは若い女性。「卯の花」村とは、辛夷老大樹がある現在の角間をいう。
(『辛夷』平成16年10月号掲載)
<参考>
おわら節の唄と囃子の構成を知っておくと、それぞれを味わうことができ、聴く楽しみが生まれます。いろいろ違いはありますが、基本は「囃子・上の句・囃子・下の句」で、前後に「長囃子」が入ります。例を挙げれば、
<越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ>
<歌われよー わしゃ囃す>
二百十日に風さえ吹かにゃ <キタサノサー ドッコイサノサー> 早稲の米喰うて オワラ 踊ります
<三千世界の松の木涸れてもあんたと添わねば娑婆へ出たかいがない>
そして再び<歌われよー わしゃ囃す>と繰り返され、哀調を帯びた「合いの手(間奏曲)」とともにおわら節が続いていきます。
