< 普羅48 前田普羅と「鰤網」④ >
「鰤網」①②③と、能登の海や鰤漁への普羅の思いを紹介してきましたが、今回は、富山を離れた普羅の最晩年の心情を鰤の句に読み取った主宰中坪達哉の鑑賞を、その著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。
(抜粋p113) 東海の椿真紅に鰤来る
鰤網を揚げれば楠の落葉かな
普羅は亡くなる昭和29年に、鰤の連作とおぼしき8句を残している。が、「椿真紅に」、「楠の落葉」とあるように冬季ではない。その年の立秋に没する普羅である。東海の春鰤を詠むが、普羅のこころには、冬の氷見の鰤があったのではなかろうか。句中の「椿」や「楠」は真鶴岬や伊豆でのものだが、かつて氷見海岸でよく見た、対馬暖流の影響を受けてよく茂った「椿」や「楠」をも思い起こしていたことであろう。
※東海……東海地方、 真鶴岬……神奈川県真鶴半島の先端
< 普羅47 前田普羅と「鰤網」③ >
普羅の唱えた「地貌」を大切にして句を読むと、よりダイナミックに句の情景が立ち上がってきます。鰤漁の始まる初冬、能登をはじめとする北陸地方の雷は、その一撃の響きの恐ろしさは言うまでもなく、空も海も暗く、風も波も大荒れ、しかしながら、そこに鰤の豊漁の兆しとしての期待と喜びも併せ持っています。このような氷見の冬の海の実景をもとにした主宰中坪達哉の鑑賞を、その著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。
(抜粋p112) 鰤網を越す大浪の見えにけり
「鰤」や「鰤網」も季語であり、歳時記としては「鰤網」に分類される一句であろうが、内容的には「鰤起し」が詠まれている。雷鳴がとどろき、「鰤網を越す大浪」が岸辺にまで迫り来るシーンである。
普羅は、氷見の海岸線の断崖の道を歩きながら「鰤網を越す大浪」を見ている。ルート的には現在の能登立山シーサイドライン、すなわち国道160号線ということになるが、当時は道幅も狭い断崖を削った道であった。
< 普羅46 前田普羅と「鰤網」② >
氷見漁港は富山湾随一の水揚げを誇り、定置網漁場と漁港との距離が近く新鮮で美味しい魚を提供してくれます。仕掛けられた定置網(鰤網)の景の趣、操業する漁船、魚市場の活気、美味なる魚料理、などなど魅力的な氷見漁港での句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。
(抜粋p112) 鰤網の見えて港に入りにけり
「鰤網の見えて」「港に入りにけり」とあるから、船上よりの作であろう。道路事情の悪かった当時は、船による移動も多かった。富山港あたりから氷見漁港を目指したものでもあろうか。ちなみに、鰤網すなわち大敷網は、氷見沖2~4キロ、水深40から70メートルのところに張られる。浜から漁場までの時間は20から30分、網を起こすのに30分から1時間程度を要する。