前田普羅<55>(2025年5月)
< 普羅55 前田普羅の「風狂」>
主宰中坪達哉は、著書『前田普羅 その求道の詩魂』で、松尾芭蕉と山頭火の風狂の句を挙げ、その上で普羅の風狂を考察しています。ここでは、その普羅の風狂を紹介します。。
(抜粋p128) 「普羅の風狂」
風狂の態様は様々である。芭蕉の風狂は、多分に後世の評価を意識しつつ、風雅の誠をもとめる旅であった、と私は考えている。山頭火の場合は、生きること自体の懊悩(おうのう)から発する、自分自身ではどうにも抑えようのない、ものではなかったろうか。
それに対して、普羅の風狂は、粋で学究的であった。
面体をつつめど二月役者かな
花を見し面を闇に打たせけり
うしろより初雪ふれり夜の町
山吹や寝雪の上の飛騨の径
など、愛誦句にそれが現れている。
峻厳で、俳壇や社会に迎合しなかったことも、風狂の徒にふさわしいのではなかろうか。今日、真摯に高みを目指した普羅の俳句があらためて評価されつつある、ことは喜ばしい。
中島杏子先生は「普羅先生の人となりと其作品」で
流浪の俳句、病床の俳句、それにもまして風狂人の俳句、それを私は普羅本相の姿として
尊とく拝される。
と述べている。「風狂人の俳句」を「尊とく拝す」とは、これまた風狂の徒の言葉といえる。
(『辛夷』平成7年11月号掲載)