前田普羅<57>(2025年7月)

< 普羅57 前田普羅と「牛岳」>

 普羅は、大正13年5月報知新聞富山支局長として、まだ見ぬ「雪をかずいた立山」や「黒部峡谷」、「飛騨の国」などを思い描いて富山に赴任してきました。その普羅が八尾町で詠んだ牛岳の句を、主宰中坪達哉は、句の解説とともに地質学・地形学を好む普羅らしい文章を著書『前田普羅 その求道の詩魂』で紹介しています。その部分を抜粋して紹介します。

(抜粋p180)  牛岳の雲吐きやまぬ月夜哉

 富山県山田村から庄川町にまたがる牛岳は標高987メートル、長く横たわる山容はまさにその名のごとく牛の背のように見える。富山市街から麓までは車で50分の距離で、スキー場としても知られる。山頂直下まで車で行けるため無雪期には登山の対象にならないが、雪のある期間は頂上からの360度の眺望を楽しもうと登山客が絶えない。
 掲句は、その牛岳を風の盆の最中の八尾町から眺めたものだ。普羅は大正13年6月から八尾に来ている。町長を務めた橋爪巨籟や毛利白牛を始めとする多くの門弟が居り、同町の二百十日会と称する句会を指導していた。普羅の教えは大変厳しかったと言う。この句は、ある年の風の盆に普羅が門下生の長谷川剣星とともに八尾の町をそぞろ歩きした折りのものである。ある年とは大正14年であろう。

(抜粋p181) (普羅は『溪谷を出づる人の言葉』でもこの句を採り上げ、次のように書いている。)

 9月1日の風の盆の頃は、富山市は未だ暑いけれど、八尾町は富山よりは5度も温度が低く、夜は冷々とする。風の盆のオワラ節を町の遠くに聞いて、井田川の谷底の吊橋の上に立つと、若し月があるならば、しづかに一団々々と白雲を吐く牛岳がながめられる。西風が持って来る水蒸気が、牛岳に這ひ上り、頂の冷気で雲となるのである。

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