前田普羅<61>(2025年11月)

< 普羅61 前田普羅の「 霜つよし 」>

 普羅の絶唱句「霜つよし蓮華とひらく八ヶ岳」を、飯田蛇笏の名句「芋の露連山影を正しうす」と同じく近景・遠景の構図で、蛇笏の句を意識して作られたと見立てた論に対し、主宰中坪達哉は疑問を呈し、いくつかの著述をもとに読み解いています。その一部を著書『前田普羅 その求道の詩魂』より抜粋して紹介します。

(1)中坪主宰の考え

(抜粋p103)
 私は、「霜つよし」は、近景そして景色を踏まえながらも、もっと大きな広く天空をも包み込もうとする普羅の主情あふれる一語である、と解釈している。決して、蛇笏の「芋の露」を意識したものではない、と考える。

(2)飯田蛇笏の「芋の露連山影を正しうす」についての著述

(抜粋p103)
  蛇笏の「芋の露」の句について、山本健吉は
【 里芋の畑は近景であり連山は遠景である。爽やかな秋天の下、遠くくっきりと山脈の起伏が、形をくずさず正しく連なっている。倒影する山脈の影も正しく起伏を描き出しているのであるが、「影」はまた「姿」にも通ずるのである。澄み切った秋空に、連山が姿を正すかのように、はっきりと、いささかの晦冥さをとどめず、浮かび上がっているのである。「芋の露」は眼前の平地の光景であり、かなりの拡がりを持った眺めでもある。広葉の露に、秋の季節の爽涼を感じ取ったのである。/秋の山容を表現して遺憾がないと言うべきであろう。「影を正しうす」とは、また彼自身の心の姿でもあったのである。】
と、その著『現代俳句』で述べている。

(3)普羅の「霜つよし」の句についての著述

(抜粋p104)
 まず、山本健吉は、その著『現代俳句』の中で
【 典型的な普羅調を打ち出している。代表的な円錐火山をなしている八ヶ嶽の山容を「蓮華とひらく」と形容したのである。一つ一つの雪の嶽さながら白い花弁に当たるのである。だが形容というにはイメージがあまりに直接的であり、強い感動がじかにぶつかってくる思いがする。そこに「霜つよし」という初五の裸の言葉が響き合うのだ。きびしく美しい霜日和である。】
と、「霜つよし」を大きく捉えている。

 また、山岳俳人の岡田日郎氏は
【「八ヶ岳」の八つの峰がそれぞれ雪を冠って、八つの白「蓮華」の花びらのように並んでいると見た。その山麓は蕭条とした「霜」枯の景。「霜つよし」も実景が基調になっているにちがいない。贅語のまったくない完璧な表現。(『前田普羅』)】
と、「霜つよし」を、単なる「近景」とはしていない。

 さらに、池上浩山人は『現代俳句評釈』の中で、
【 甲府近辺は冬は非常に寒い。それだけにはなはだしく白く地上に結露するのであろう。この霜を強しとまず表現し、八ヶ岳を蓮華といったところに、この山の様相を的確に表現していて妙である。この場合「蓮華とひらく八ヶ岳」と叙することは、何人にも容易であるが、上五の「霜つよし」の語は、よほどの力量と凝視と一致しなくては容易にはできてこない作である。八ヶ岳を詠んだ句として、他にその比類を見ることのできない名作である。】
と、「霜つよし」の一語の重みを説いている。

(4)中坪主宰の結論

(抜粋p105)
 「霜つよし」は、蛇笏の「芋の露」を意識したものではなく、天空をも包み込もうとする普羅の主情あふれる一語である。普羅のこの一句は、精神の安寧を求めんがために、大自然の厳しさを愛し、自らを高めんと命を削って作ったものである。

(『辛夷』平成9年2月号掲載)

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