辛夷句抄(令和7年11月号)

五岳集句抄

コスモスの中に埋れて海の音藤   美 紀
馬籠路の萩散る雨の石だたみ野 中 多佳子
時々は月に顔あげ針仕事荒 田 眞智子
籾殻の袋のなせるピラミッド秋 葉 晴 耕
合掌の手に川明り地蔵盆浅 野 義 信
軒下の輝き出しぬ稲穂波太 田 硯 星
それぞれの青春はるか蝉しぐれ山 元   誠

青嶺集句抄

お囃子の一音足りぬ村まつり青 木 久仁女
夏大根の辛さ夕餉の独り言成 重 佐伊子
夏帽子さまざま町内草むしり菅 野 桂 子
耳朶に残る声を愛しみ萩の秋脇 坂 琉美子
秋蝶の黄色にしばし歩を合はせ明 官 雅 子
梨送る一筆箋の三枚目二 俣 れい子
妻の手をとりて御堂へ葛の花岡 田 康 裕
参道の竹灯籠や秋時雨北 見 美智子
哀しめば胸の高さを秋の蝶野 村 邦 翠
きつちりと量る枡の目今年米杉 本 恵 子
土産とてTシャツと置く櫟の実石 黒 順 子
追ひ払ふほどの数見ず稲雀中 島 平 太
白い供華ばかりを選りて盆の路浅 尾 京 子

高林集句抄

乾きたる砂うつくしや蟻地獄新 村 美那子

  <主宰鑑賞> 
 今の子らはどうなのであろう。昔は外で遊ぶのが当り前、床下などの蟻地獄をいつも目にしていた。掲句を一読、近頃はあまり出合っていないが、まざまざと脳裏から蟻地獄の映像が出て来る。確かに非情なまでに乾ききった砂は艶めくような白い光をも放っているようである。その「うつくしや」と思わせる妖しさが獲物を誘い込むか。美が地獄への入り口。

晩夏光かかりつけ医も老けにけり小 西 吉 子

  <主宰鑑賞> 
 かかりつけ医と言えば内科を思うが、歯科や眼科などの診療科にも言える。暑さが秋季になだれ込んで晩夏光も重くれた雰囲気となった。そういう空気感の中での受診がもたらした一句かも知れない。今の世は抗老化、抗加齢が課題である。フレイルなる語もよく見聞きする。さあ、何から始めるか。
  

衆山皆響句抄

夕支度茄子も仕舞と小さきも取る永 井 淳 子

  <主宰鑑賞>
 茄子は様々に調理されて実に親しい野菜であり茄子に関わる季語も数多い。家の敷地内か、また近くにある畑より夕餉用の茄子を取ってくるという暮しぶりも好もしいかぎりである。「茄子も仕舞と」からは秋茄子も思われる。仕舞の時季ともなれば成長を待つうちに腐る不安もあろう。「小さきも取る」ことで少しでも旬の味を供したい、との主婦の思いが伝わる。)

通草熟るまづ絵手紙にをさめけり角 田 睦 子
水遣れば嬉しと虫の声しきり坂 本 善 成
三台の草刈機の音休耕田勝 守 征 夫
風かよふ草踏む道の白露かな佐々木 京 子
お見舞のメロンとともに退院す久 光   明
草の葉の露にやさしき日差しかな谷   順 子
行水の夫待つ夕餉汁さめて五十嵐 ゆみ子
階段の一段ごとの鰯雲畠 山 美 苗
夜勤へと西日に向かふ漢あり大 池 國 介
喜雨来たる本降りまでを手に受けて早 水 淑 子
秋雨の葉音と共に草を抜く今 井 秀 昭
紙コップになりし帰省子十二人今 井 久美子
砂利山に凛と立ちたる月見草飯 田 静 子
秋の野を新幹線はのんびりと土 肥 芥 舟
日翳れば秋の匂ひもそこはかと鶴 松 陽 子
ラッパ飲み上手になりて夏終る西 出 朝 子
霧ほどけ朝日傾るる山路かな長 山 孝 文 

※上記、衆山皆響句抄の各句への<主宰鑑賞>は、俳誌『辛夷』の「鑑賞漫歩」に詳しく掲載されています。

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