前田普羅<52>(2025年2月)

< 普羅52 前田普羅の「ハンカチ」>

 今回から普羅の残した言葉や足跡を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋p106) 「ハンカチの一と隅を詠め」…普羅

 富山県俳句連盟の平成10年秋季俳句大会で、「群馬における普羅先生」と題する『群青』主宰・吉田銀葉氏の講演を聴いた。
 普羅は14歳の時に修学旅行で初めて上州を旅し、浅間山の降灰を浴びた。40歳の大正13年には、横浜から富山への転勤の途上、車窓から初めて浅間山の全姿を見た普羅であったが、その後縁があって53歳の昭和12年からは、毎年のように上州路を訪ねている。前橋、赤城山、尾瀬至仏山、そして浅間山の北の吾妻川渓谷、嬬恋村、草津温泉など各地を回り、多くの辛夷同人・誌友を育てたのであった。
  春星や女性浅間は夜も寝ねず   普羅
  吾妻の人と別れて蝶を追ふ
  きりぎりす鳴くや千種の花ざかり
  ひとすじの柳絮の流れ町を行く
  吹雪やみ木の葉の如き月あがる
 吉田銀葉氏は、昭和23年、超結社の俳句大会講師として群馬を訪れた普羅に「俳句の本質は如何に」と問うた。
 その際の問答は、次のようなものであったという。
 【(普羅)先生は、おもむろにポケットからハンカチを取り出し、「君、このハンカチを詠むとしたら、どう詠むかね」と逆に質問された。私は即答できずに黙っていたら、ハンカチの四隅を指されて、「俳句は省略の文芸だ。一隅を完全に詠めれば、他の三隅は詠む必要はない。その心が俳句の省略であり、あとは余韻・余情にまかせればよい」と言われた。(「富山県俳句連盟会報・第47号」)】
 吉田銀葉氏は、普羅のこの言葉を伝えるだけでも講演した甲斐があった、と述べられた。むべなるかな、である。
 そして、その時に、氏は
  静かにも木の葉はりつく野分かな
の短冊を貰われたとのこと。

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