五岳集句抄
| ひぐらしや思ひめぐらす明日のこと | 今 村 良 靖 |
| 女傘杖とし登る立秋忌 | 但 田 長 穂 |
| 聞香や白寿ことほぐ萩の寺 | 藤 美 紀 |
| つくつくし折目正しき父の恩 | 野 中 多佳子 |
| 秋天へ紬ゆらせて伸子張 | 荒 田 眞智子 |
| よく噛めと念をおすかにつくつくし | 秋 葉 晴 耕 |
| 秋風やポポと鳴りたる墓の燭 | 浅 野 義 信 |
高林集(一)句抄
| 輪の歪むところに入りて盆踊 | 青 木 久仁女 |
| 秋雨の淡き光に能舞台 | 太 田 硯 星 |
| 赤城より日雷も下りて来し | 山 元 誠 |
| 朝顔市売り子のをとこ言葉かな | 成 重 佐伊子 |
| 七分とも咲き揃ふとも稲の花 | 菅 野 桂 子 |
| 水拭きのひと拭き毎の涼新た | 脇 坂 琉美子 |
高林集(二)句抄
主宰鑑賞
「子ら居らぬ盆」は新型コロナウイルス感染防止の帰省自粛によることは明らか。「築山掃きゐたり」が一句の花とも言うべき豪勢な光景。広々とした庭だけに「子ら居らぬ」寂しさ、空虚感がより募るか。これがコロナ禍も終息後となれば、「子ら居らぬ」は別の理由に様々に鑑賞されるかも知れない。それは句に普遍性、生命力があるということで、それもよし。
主宰鑑賞
天平仏といえば「青丹よし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今さかりなり」を想うが、天平仏は関東にもある。内部が空洞で漆箔に彩色を施した乾漆像の永遠なる美。山薊を目にしながらの男坂は何処であろう。「天平仏へ」は御仏に引かれた和辻哲郎の『古寺巡礼』の世界を呼び起こしてくれる。
衆山皆響句抄
主宰鑑賞
ハンディファンは充電式の手持ち扇風機。手のひらサイズで如何にも軽そう。つくづく扇子との違いを思う。面白いのは、否、不思議なことは、お子さんたちが快適な冷房車内でもハンディファンを止めないこと。不要でもあろうし、冷え過ぎないかとの疑問が湧く。そして、これが若さの証明というものか、と微苦笑に変る。扇子の方がいいと思うのだが。
| 園児らのどの子も日焼してをらず | 稲 田 政 雄 |
| 茄子とりに鋏鳴らして突つ掛けで | 北 島 ふ み |
| 昼餉の間に野良着乾けり秋澄みて | 藤 井 哲 尾 |
| 地蔵盆用意の茶菓子多目にと | 水 上 美 之 |
| 宅配の姉の字太く梨届く | 堺 井 洋 子 |
| 経読むや応へるやうに蓮ひらく | 粂 千鶴子 |
| 足の位置定めて洗ふ大根かな | 武 内 稔 |
| 鶏頭は古庭にあり日は高し | 竹 脇 敬一郎 |
| 岩肌を虹色に染め滝しぶき | 平 田 外喜夫 |
| うなだるる向日葵に声掛けもして | 斉 藤 由美子 |
| 先導はいつも風なり萩の径 | 谷 順 子 |
| カーテンを洗ひて風の中の秋 | 永 井 宏 子 |
| 前を行く革ジャン秋の空に消ゆ | 大 野 恭 佳 |
| 誰も来ぬ風も通らぬ夏座敷 | 大 塚 諄 子 |
| テレワークの夫の傍ら梨を剥く | 倉 沢 由 美 |
| 水澄みし木蔭に童話浮かびたり | 八 田 尚 子 |
| 電柱の影に身を入れ秋暑し | 立 花 憲 子 |