前田普羅<1>(令和2年11月)

<普羅1 前田普羅とはどのような人物だったのでしょうか >

 前田普羅の没後、第2代主宰中島杏子の手により完成した『定本普羅句集』(昭和47年、辛夷社)に、前田普羅の畏友であった棟方志功の「前田普羅先生」という序文があります。この棟方志功から見た普羅の姿が、俳人・前田普羅を端的に語っています。以下、現代仮名遣いに直して、少し紹介します。

  • ああいう、心から、オソロシイほど、本物ばかりで生き、活きた人間というか、あるいは化物の様に凄まじい本性を、いつも、かつも、見せっぱなし、出しぱなしの人間は知りません。
  • 正直以上に正直で、剛直なほど剛直で、あるいはゴウジョウなほどゴウジョウといっても嘘にならない程で、正に曲者でもありました。
  • そして、立派でした。誰がナンと言っても立派な程立派さを持っていました。
  • 心の心まで交ぜ返しをしない人でした。ただ一本に自分の生涯を槍の様に貫ぬき通したといってもよいのではないでしょうか。

 また、棟方志功は、以下の様に普羅の別の一面も理解していたようです。

  • 思う存分に、自分を振舞い通しに振舞いながら、静かに静かに囃しを、おさめた様に―秋風の吹きくる方に帰るなり―そういう人でありました。
  • ナンとなく、ナンとなく、やり切れない淋しさを連れて居る様な影もあった様です。それが、大事で大切な面でもあったかも知れません。

 「世界のムナカタ」をして、このように言わしめるほどの「風狂」で「淋しい」前田普羅を、第4代主宰中坪達哉は「求道」という観点でとらえ、その著書『前田普羅その求道の詩魂』で深く追求しています。

 前田普羅は、山岳俳句の第一人者と言われるように雄大で荘厳な句で有名ですが、その内面に持つ淋しさも併せて、これから「前田普羅のページ」で紹介していきたいと思います。

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