前田普羅<29>(2023年3月)
< 普羅29 前田普羅の「雪割」>
今回は、普羅の「雪割」の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。
(抜粋p59) 雪を割る人にもつもり春の雪
現代では「雪を割る」ということが、俄かにはわからなくなりつつあろう。この句がなった昭和9年当時は今日のような温暖化はないから積雪も多かった。とりわけ、この年は大雪であった。富山に降る雪は富山湾を流れる対馬暖流と大陸からのシベリア寒波との温暖差によって発生した蒸気が雪雲となったものであり、降る雪も水分の割合が高い。積雪も下層へ行けば行くほど水分が沈んで重くなる。いわゆる雪がしまる、というもの。現在のような機械力による除排雪もできず、また地下水や熱による消雪、融雪の装置もない時代であったから、卸された屋根雪など積み重ねられて行った雪はどんどんしまり、もはや雪という概念を超えて石のようにも鉄板のようにもなった。もうスコップでは歯が立たず、鶴嘴や鋸を使って割ったものを川や用水などへ流すのである。
せっせと雪を割る人からは、雪を怨むような雰囲気は感じられない。その人の頭や肩や腕に降り積もる春の淡雪は、あたかも戯れて纏わりついて来るかのようである。そして、そんな光景を、飽かずに眺めている普羅が居る。