辛夷句抄(令和7年8月号)

五岳集句抄

更衣八十路の髪を小さく結ひ藤   美 紀
薬湯の効き目云々麦の秋野 中 多佳子
古傷に柔(やわ)に触れもし更衣荒 田 眞智子
新じゃがに塩一ふりの小昼かな秋 葉 晴 耕
立山のけふは間近き雨蛙浅 野 義 信
新樹光仏描く人仏めき太 田 硯 星
残雪に太き柱の八甲田(八甲田ホテル)山 元   誠

青嶺集句抄

うなぎ屋ののれん絡みて夏旺ん青 木 久仁女
めし包む朴葉は母のにほひかな成 重 佐伊子
助手席に置く夏蕨一とつかみ菅 野 桂 子
日の暮れの植田見回る紺スーツ脇 坂 琉美子
白南風や古本選ぶコンコース明 官 雅 子
燕来ぬ納屋へ幾度も隣の子二 俣 れい子
窓いつぱい開けて剃る髭遠郭公岡 田 康 裕
参道は夏の匂ひの石畳北 見 美智子
山車行燈曳き手に混じる女声野 村 邦 翠
農事メモ壁に貼り足す立夏かな杉 本 恵 子
跳ねゆくは兄の化身の岩魚とも石 黒 順 子
翳し見る枝に実梅の十粒ほど中 島 平 太
えご咲くや虻の重さのままに揺れ浅 尾 京 子

高林集句抄

薫風や定宿定部屋ごろ寝して大 谷 こうき

  <主宰鑑賞> 
 これまでの句に「夕星や京の定宿梅盛り」「晨朝の法話身に沁む京の空(東本願寺)」があり、掲句も同じく京都の定宿と思われる。旅を重ねる身に定宿は大事な存在。安堵感が伝わる「ごろ寝」である。「薫風や」の季語とも合わせて和風の老舗の佇まいか。昨今はホテルの密室空間での宿泊が一般的であるだけに心身ともに余裕がありそうな旅の宜しさである。

梅雨晴や指間を砂はくすぐりて齊 藤 哲 子

  <主宰鑑賞> 
 梅雨晴は梅雨の最中の梅雨らしからぬ晴天をいうが、梅雨明け直後の晴天の意味でも使う。ここでは後者とも。ただ今年の猛暑も目立つ空梅雨を思えば、上五を「空梅雨や」としてもよさそう。「指間を砂はくすぐりて」は、女優が渚で熱くなった砂を掬い上げているような興味をそそる光景である。
  

衆山皆響句抄

舌も尾も震はせ睨む蛇の目よ橋 本 しげこ

  <主宰鑑賞>
 都市化や農薬で減ったこともあろうが、動物はあまり詠まれない。そんな中でも蛇はまだ目立つ。それにしても蛇嫌いには鳥肌が立つような一句。まるで動物学者のような冷徹な写生眼のしげこさんである。蝮は首を垂直に立てて頭頂部は平らに眼光を向ける。「舌も尾も震はせ」はどこか平面的な感じで青大将あたりか。いずれにしても逃げないのは俳人魂か。)

誰も来ぬほどよき孤独草毟る砂 田 春 汀
夏茱萸を食みて畑への通り途(みち) 水 戸 華 代
地下茎は自由奔放草を引く金 谷 美 子
子どもらをあつめて進む縞蜥蜴片 山 敦 至
終電を降りて蛍と家路かな上 田 洋 一
白百合の明日を待たずに咲きにけり荒 井 美百合
夜濯を終へて一人の小津映画 佐 渡 稚 春
祭太鼓ほどよく遠く酒を酌む久 光   明
一雨の化粧直しの新樹かな大 池 國 介
話しかけもし泰山木の落ちし葉に多 賀 紀代子
夫待たす木暮鞍馬の走り根に永 野 睦 子
耳澄ますことがならひに夕薄暑小 路 美千代
越後かな車窓何処まで青田波小坂井 左千雄
祭笛帯に差し込み手締めかな小 峰   明
赤飯の夕餉で気付く春祭松 田 俊 夫
擦れ違ふ若き等夏の風まとふ鉾 根 美代志
境内の暮色に浮かぶ苔の花鶴 松 陽 子

※上記、衆山皆響句抄の各句への<主宰鑑賞>は、俳誌『辛夷』の「鑑賞漫歩」に詳しく掲載されています。

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