前田普羅<34>(2023年8月)

< 普羅34 前田普羅の「向日葵の月」>

 今回は、普羅の「向日葵の月」の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋p37) 向日葵の月に遊ぶや漁師達

 「向日葵の」の「の」が主格の「の」のようにも見えるが、主語はあくまでも「漁師達」であって「向日葵の月」に遊ぶのである。明治末年、ところは九十九里海岸の波打ち際を延々と伸びる「納屋通り」と呼ばれた道。納屋とは漁師が寝泊りする小屋で、垣には向日葵が咲いている。向日葵も今日よく見る小ぶりなものではなく、高く逞しいものであったろう。その道には血気盛んな若い漁師相手の呑み屋も点在し、低い松と熱砂の道は日が落ちると夜遊びの道と化した。今では想像もつかない漁業盛んな時代の光景である。
 「向日葵の月」との把握は、長汀から天空までの大空間を鷲掴みにしたような壮快さがある。月の夜は浪が高く、人の背丈の三、四倍になることもあるという。沖も白み出すころ、遊び足らない漁師達が呑んだ勢いで浴衣も飛ばしそうに、あられもない格好で帰り来る。その抑え難い放埓の気に自らの心境をも重ね合わせた「遊ぶや」の措辞である。九十九里の一角の千葉県白子町、当時の関村は普羅の父の故郷で普羅自身も親しく訪れて滞在している。普羅、二十代後半にしてよく風土と習俗を活写した一句。『普羅句集』所収。

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