辛夷草紙<36>(令和4年7月)

<草紙36>「 奏でる青田波 」(富南辛夷句会便り) 

  日に日に背丈を伸ばす青田を眺め、一句浮かぶのを待っていた。風が吹き、青田が揺れる。青田波だ。青田波は一見、不規則極まりないと思いきや、不規則の中に規則がある。一瞬ぴたりと静止したかと思うと、いきなり大きな揺れがあり、小さな揺れが続く。この時、私の頭の中でベートーベンの交響曲第9番第4楽章『歓喜の歌』が響き出した。何と青田が、『歓喜の歌』に符合して大きく揺れ、波打っているではないか。まるでそこに指揮者がいるかのように。そして再び、青田波はぴたりと止まる。私も大きく息を吸って、次の風の合図を待つ。青田波に、交響曲に、全身で浸る。

指揮者ゐるごとく青田は波打つて 

 さて、今回の投句の季語は、草取、端居、紫陽花、蛞蝓、夏の霧、梅雨、蟻、鶺鴒など。夫婦二人しての草取、端居に想う父のこと、夏霧に包まれた山小屋のギターの音、梅雨寒に売薬箱の香、いわゆる身辺足下を詠んだ句が印象的だった。

 投句のあった季語に合わせて前田普羅の句を二句。

  奥能登や浦々かけて梅雨の瀧(『能登蒼し』所収)

  ゆふべ見し人また端居して居たり(『焦鈴舎』所収)

康裕