五岳集句抄
足場組む人を目がけて若葉風 | 今 村 良 靖 |
両腕に新樹の風を受け流し | 藤 美 紀 |
咲ききつておのれささふる夕牡丹 | 野 中 多佳子 |
東京へ行けず五月の風とあり | 荒 田 眞智子 |
潮騒や蔓先揃ふ西瓜畑 | 秋 葉 晴 耕 |
百千鳥結界といふ朱の橋 | 浅 野 義 信 |
青嶺集句抄
ふかふかの道をしばらく道をしへ | 青 木 久仁女 |
遺されしメール読み入る朧かな | 太 田 硯 星 |
ほのかにも移り香口に桜餅 | 山 元 誠 |
葉桜もよきやベンチを独り占め | 成 重 佐伊子 |
重なりてなほ日に透けり若楓 | 菅 野 桂 子 |
深山蓮華風にためらひつつ解け | 脇 坂 琉美子 |
ぶらんこを降りればカレー匂ひ来る | 明 官 雅 子 |
夏めくやペダル漕ぐ子の口笛も | 二 俣 れい子 |
畦に座し紫雲英に酔うてしまひけり | 岡 田 康 裕 |
お下がりの草餅遅き昼餉とす | 小 澤 美 子 |
高林集句抄
<主宰鑑賞>
過ぎ行く春を惜しむ、その取合せとしての裏山の匂いが面白い。しかも、一日匂うのである。通年ある裏山の匂いだが、晩春は夏へ向かう序章とでも言うか、湿った土や草木に宿る霊的な生命力が勢い付くのであろう。そこに棲む小動物たちの活動もいよいよ活発なものとなっていよう。総身で嗅ぐ裏山の匂い、郷愁の癒される匂いであることは言うまでもない。
<主宰鑑賞>
「雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た」という『伊豆の踊子』の一節でも明らかなように川端康成の文章は実に俳句的な魅力に満ちている。そうした川端康成全集を春の雨音を聞きながら読み進む。至福な時間が流れている。手擦れが進みそうだが致し方なし。
衆山皆響句抄
<主宰鑑賞>
畑も春となると「畑打」「耕」を始め何かと畑へ出ることとなる。そこでの種蒔きや植え付けなどの情報交換も有益だが、世間話の弾んだ会話も楽しいものである。確かに「野遊びをしてゐるやうな」とは言い得て妙。癒しと栄養補給、いわゆる小昼を取りながらの一服のようにも思われる。「してゐるやうな」ではなく野遊びそのものか、との微苦笑が生んだ一句。
白木蓮の拍手は夕日沈むまで | 井 上 すい子 |
速報のテロップ追ふや青嵐 | 紺 谷 郁 子 |
新緑の下をとぼとぼあてもなく | 小 川 浩 男 |
青葡萄八ヶ岳甲斐駒の風はらみ | 那 須 美 言 |
乗込みの飛沫を肩に池めぐる | 高 岡 佳 子 |
人去りてふらここ己が時を揺れ | 久 光 明 |
昭和の日いまも昭和のまま生きる | 馬 瀬 和 子 |
万緑と言へねど庭の種種の木木 | 新 井 のぶ子 |
歩むほど良き風誘ふ五月かな | 黒 瀬 行 雲 |
当方も筍出るが貰ひおく | 村 田 昇 治 |
跳べさうな小川の向かう夏燕 | 平 木 美枝子 |
泥濘の深く澄みゆき蝌蚪生る | 川 田 五 市 |
長過ぎる寺の石段春の雨 | 小野田 裕 司 |
畳拭く古民家座敷風薫る | 根 田 勝 子 |
湯掻く菜の青臭き香や昭和の日 | 飯 田 静 子 |
我先に葉を広げたる新樹かな | 船 見 慧 子 |
街灯に照らされてゆく花の道 | 堺 茂 樹 |