前田普羅<45>(2024年7月)

< 普羅45 前田普羅と「鰤網」① >

 能登半島の東側に位置する氷見市は定置網発祥の地、その起こりは織田信長や豊臣秀吉の生きた天正年間と言われ、殊にそこで獲れる「寒鰤」の美味しさ。「地貌」を唱える普羅にとっては興味津々だったと思われます。大正13年に赴任してきた普羅の心をとらえた氷見の海、氷見漁港の活気などから生まれた「鰤網」の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋p111)  鰤網を押す高潮の匂ひけり

 平成13年11月に富山県氷見市において、「全国定置網新世紀フォーラム」が開催された。歓迎の中沖県知事の挨拶の冒頭で、氷見で詠まれた普羅の掲句が紹介された。「鰤網」とは普羅独特の表現である。「大敷網」とも言うが、近年では「定置網」の語が一般的である。氷見は、昔は「氷見鰯」が訛った「ひいわし」で知られていたが、今では定置網による寒鰤の産地として有名である。
 定置網という言葉は明治34年制定の漁業法に始まる。それまでは「台網」と呼んでいたが、その起源は天正年間(1573~1592)と言う。大正後期から昭和の初めに、網に入った魚が容易には網の外へ出られない「登り網」を取り付けた「落し網(大敷網)」が出現する。その後も改良され、昭和40年代には、現在のような「二重落し網」となった。網も季節ごとに網型や沈める場所を変えた、いわゆる「三季の網」から「周年の網」となった。三季とは春のイワシ、夏のマグロ、そして冬のブリであった。

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