前田普羅<49>(2024年11月)
< 普羅49 前田普羅と養蚕 >
養蚕農家では蚕のことを「お蚕(おかいこ)」「お蚕様(おこさま)」「お蚕様(おかいこさま)」などと呼び、大切に育てていました。富山県でも江戸時代より風の盆で有名な八尾町、合掌造りで有名な五箇山などの主要産地をはじめ、各所で養蚕が人々の生活を支えていました。普羅も「お蚕(おこ)」の句をたくさん作っています。その中から、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。
(抜粋p71) 御蚕せはし梅雨の星出て居たりけり
養蚕は高度経済成長期以前までは全国的に行われていたが、その後は衰退の一路を辿った。「御蚕せはし」という感覚は、現代人にとってはわかりづらくなっている。養蚕の実態は、5月下旬2令(2回脱皮)した蚕から育て、5令になると繭を作る。2週間ほど世話をするが、大きくなるにつれ桑を食べる量が多くなり、世話に追われる。夜は蚕箱の間に新聞紙を敷いて2、3時間の仮眠しか取れない多忙さである。繭を乾燥させたり出荷したりして、次の蚕を飼い、10月末頃までそのような状態が続く。「御蚕せはし」を受けた「梅雨の星出て居たりけり」の語り口調的な表現は、まさに養蚕に従事して多忙を極める者としての表白のようである。風土に根差した人々の暮しを見つめてやまぬ普羅なのである。