辛夷句抄(令和6年8月号)

五岳集句抄

かなかなや旅に書く文情篤く藤   美 紀
住み古りて夕べ水足す釣忍野 中 多佳子
夏蜜柑ていねいに剥きひとりかな荒 田 眞智子
運ばるる籠に軋みし春キャベツ秋 葉 晴 耕
三更の通夜の畳に青蛙浅 野 義 信
緑蔭のベンチに飽きて書店へと太 田 硯 星
風薫る縁へ誘ふ囲碁仲間山 元   誠

青嶺集句抄

大杉のしめ縄確と登山口青 木 久仁女
水打つて庭木の風を待つともなく菅 野 桂 子
たはむれに夫の背に打つ草矢かな脇 坂 琉美子
夏帽の鍔見えてゐる隠れん坊明 官 雅 子
色づかぬ四葩剪る罪そこはかと二 俣 れい子
柿若葉今朝も増えたる土竜塚岡 田 康 裕
絹豆腐切り口大き涼しさよ小 澤 美 子
梅雨の庭紫陽花色に昏れなづむ北 見 美智子
庭師去り石の乾ける薄暑かな野 村 邦 翠
明珍(みょうちん)の風鈴捩る程の風杉 本 恵 子
子燕に阿弥陀如来のたなごころ石 黒 順 子

高林集句抄

麨(はったい)を練りて老いゆくこと急かず浅 尾 京 子

  <主宰鑑賞> 
 麨を見聞きすることも稀となった。「麨」は大麦の粉で「麨粉」「麦こがし」とも。今も細々ながら店頭に出る。麨粉牛乳や練り菓子などに。句としては「立山の風に麨こぼしけり 川原河人」「麨を吹き飛ばしたる畳かな 前田普羅」が浮かぶ。京子句では老いに抗うのではなく「急かず」というところに興趣がある。麨を練りながら懐かしく思い出すことなども。

住み古りて見馴れし蜥蜴よぎり行く鈴 木 てる江

  <主宰鑑賞> 
 家の周りや庭には結構生き物がいる。蛇は御免こうむりたいが、蜥蜴ならば余裕を持って眺めることができる。蜥蜴の方も同様に人を見ていて「見慣れし家人」なのであろう。「住み古りて」眺める蜥蜴は、子蜥蜴そして孫蜥蜴へと変って行こう。「よぎり行く」時間も決まっているような面白さあり。
  

衆山皆響句抄

植田水さらひ取るかに波走る永 井 淳 子

  <主宰鑑賞>
 「植田風」によって生じる光景を詠む。が、風を言わず、あくまでも植田の水面を凝視した「植田水」としての一句である。劇的とも言える水面の瞬間の動きを「さらひ取るかに波走る」と活写している。これからという植田の大事な水が一瞬にして消えて行くとは驚き。ざわざわと水を浚いとるように走る波、そのダイナミックな波動を見逃さない写生眼。)

友より新茶同じやうに年重ぬらし橋 本 しげこ
薪能武者怨念の火のはじけ漆 間 真由美
懸垂下降かな瀑布白皚皚(はくがいがい)西 山 仙 翁
麦秋に孤影いつまでキハ40釜 谷 春 雄
松落葉払ひ風音聞くベンチ斉 藤 由美子
新刊の紙の手触り新樹光倉 島 三惠子
庭つつじあの世でも妻愛でゐるか細 野 周 八
万緑や写生の子等の無口なる山 口 路 子
ねんごろな言の葉のせて団扇風くろせ 行 雲
自づから草むしり子の家に来て村 田 昇 治
夏シャツや百歳体操仲間入り小 西 と み
朝焼の杜甘え鳴く鷺の声 堺 井 洋 子
夜の雨篭一杯の胡瓜かな 廣 田 道 子
じんじんと蚋(ぶよ)の咬み跡旅荷解く赤 江 有 松
よろよろと父の自転車青田風木 山 栄 治
白靴にコントラバスの響かな大 井 まゆ子
半夏雨潤す畑や深呼吸善 徳 優 子

※上記、衆山皆響句抄の各句への<主宰鑑賞>は、俳誌『辛夷』の「鑑賞漫歩」に詳しく掲載されています。

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