前田普羅<39>(2024年1月)
< 普羅39 前田普羅の「奥山」① >
普羅35「老いと漂泊」でみたように「奥山」は、普羅の心情を理解していく上でとても重要です。その奥山の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。
(抜粋p53) 奥山に逆巻き枯るる芒かな
普羅の句にはよく「奥山」が出てくる。この句のように「奥山に」が初句となるものは「奥山に風こそ通へ桐の花」「奥山に飛騨の国あり初しぐれ」「奥山に小蔭なしゐる桂かな」、また「奥山の」として「奥山の芒を刈りて冬構」「奥山の枯葉しづまる春夕」「奥山の径を横ぎる蕨とり」「奥山の菫を染むる風雨かな」「奥山の草爽やかに刈られけり」など、さらに「奥山も松を納めてゐたりけり」というものもあれば、「人の世の奥山の草枯れて立つ」「花散つてゐる奥山の恐ろしき」など中句に来るものもある。
「奥山」は普羅にとって現実の世界を超えた、ただならぬもののようである。それは畏敬の地でもあれば憧憬の地のようでもある。が、決して一定不変の安住の境でもない。普羅のその時々の精神を反映して明るくもなれば暗くもなる。その奥山に「逆巻き枯るる芒かな」と詠んだのは昭和9年、40代末の俳人としての充実期だが、それはまた社会の様々な矛盾に懊悩しながら俳句文芸の高みを目指した苦悩の時代でもあった。「逆巻き枯るる芒」は、普羅自身の苦闘の果ての姿のようにも見えてくる。『定本普羅句集』所収。