辛夷句抄(令和5年12月号)

五岳集句抄

黒塚にシテの鬼舞ふ十三夜藤   美 紀
秋暑しパンク自転車引きし子よ野 中 多佳子
秋天や胸張つてこそ見ゆるもの荒 田 眞智子
自づから輪になる昼餉草紅葉秋 葉 晴 耕
啄木鳥の穴深々と枯木立つ浅 野 義 信

青嶺集句抄

内の子になる朝顔の種もらふ青 木 久仁女
交渉の止む間知りたる虫のこゑ太 田 硯 星
曼殊沙華ひと月遅れの墓参り山 元   誠
葬送の軒に色増す唐辛子成 重 佐伊子
鳳仙花はぜよと如雨露手に持つて菅 野 桂 子
きびきびと働く手あり秋晴るる脇 坂 琉美子
爽やかやシェアサイクル出払ひて明 官 雅 子
針替へて通す白糸昼の虫二 俣 れい子
籾殻焼く匂ひに一夜浅眠り岡 田 康 裕
路面電車カーブ大きく秋の空小 澤 美 子
小鳥来る果物匂ふ朝の卓北 見 美智子
色淡き茗荷の花を夫に見す野 村 邦 翠

高林集句抄

すぐ逃げてしまふ都会の赤とんぼ中 村 玉 水

  <主宰鑑賞> 
 いかにも秋らしい季節感を象徴する赤とんぼ、基本的には田舎を想わせよう。それだけに「都会の赤とんぼ」そして「すぐ逃げて」という観点に注目した。ビル街の日向、日陰の差は大きく、餌も少なかろう。そんな棲息環境ではより俊敏な動きが必要か。直ぐに逃げるという把握は言い得て妙かと。見てみたい都会の赤とんぼ。赤とんぼを詠んで異色な一句。

苦瓜の赤らむ本音吐けぬまま浅 尾 京 子

  <主宰鑑賞> 
 ゴーヤーの名でも親しい苦瓜。沖縄の郷土料理であったゴーヤーチャンプルーも全国的に普及。緑のカーテンも美しい棚で結ぶ苦瓜の実は順調に育って赤らんで来た。それに比べてわが心の何とぐずぐずしていることか、との嘆きが一句となった。本音を吐けばどうなるか、今少し自問自答が続く。
  

衆山皆響句抄

てのひらに指に新米磨ぎにけり橋 本 しげこ

  <主宰鑑賞>
 季節の賜物として新米を手にする喜びは格別のものがある。新米は視覚、聴覚、臭覚、触覚の切り口から色々な所作が句となってきた。新米を磨ぐ云々の句も多いが、ここでは「てのひらに」そして「指に」と新米の質感、量感を畳み掛けるように皮膚感覚で伝えてくれる。水に浸かる前と後での新米の変化も言わずもがな。新米を磨いで心も弾んでくる良き日。)

数多なる虫と住みゐて虫を見ず水 上 玲 子
ここかしこ交はす鈴の音茸狩坂 本 善 成
秋草を活けて微かに日の匂ひ斉 藤 由美子
籾摺りを終へて疲労は安堵へと柳 川 ひとみ
秋の声止みたれば窓閉めにけり田 村 ゆり子
わが影も吹かるる風の花野かな久 光   明
秋風に吹かれもろもろ忘れけり 馬 瀬 和 子
騎馬戦の馬の周りを秋茜 清 水   進
秋風鈴仕舞ひ忘れてなどをらず村 田 昇 治
障子貼る桟の傷みをかばひつつ川 渕 田鶴子
石畳阿形呍形秋の風内 田 邦 夫
吾が一句口遊みゆく野菊晴寺   沙千子
秋草の庭へ隣の子のボール島 田 一 子
茸飯多目に炊いて足りぬとは堺 井 洋 子
空つぽのバスのミラーに赤蜻蛉小 林 朝 子
晩秋や海鳴り近き宿に着く鉾 根 美代志
掛稲のそばで一服雲流れ 秋 本   梢

※上記、衆山皆響句抄の各句への<主宰鑑賞>は、俳誌『辛夷』の「鑑賞漫歩」に詳しく掲載されています。

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