辛夷句抄(令和5年10月号)

五岳集句抄

西瓜売浦の訛りの世辞一つ藤   美 紀
百年へいよよ歩を詰め立秋忌野 中 多佳子
襟元の釦はづしてかき氷荒 田 眞智子
空蝉の掃かれし音のかさかさと秋 葉 晴 耕
田の人へ遠き会釈の墓参り浅 野 義 信

青嶺集句抄

おまじなひ効いて眠りへ熱帯夜青 木 久仁女
犬やがて通る舗道へ水を打つ太 田 硯 星
夏寒きICUよりメール来し山 元   誠
竹煮草煽りてバスは湖へ成 重 佐伊子
一雨の後ややありて法師蝉菅 野 桂 子
茄子の馬亡夫振り返り振りかへり脇 坂 琉美子
墓参り道ゆづりあふ風の中明 官 雅 子
葉裏まで熱き木斛立秋忌二 俣 れい子
山涼し車前草ふめば道しづむ岡 田 康 裕
燕子花風の行手は御堂かな小 澤 美 子
竹の葉の雨に濡れゆく今朝の秋北 見 美智子
梅雨明の湖畔の風にミントの香野 村 邦 翠

高林集句抄

病葉を抓めばあつけなく微塵中 島 平 太

  <主宰鑑賞> 
 青々と茂った中にたまたま見つけた異常というか違和感のある葉、ひいては哀れさを思う病葉である。それが今夏、否、秋までも続く猛暑で病葉の目立つこと。しかも葉の脆さも例年以上かと。それが「抓めばあつけなく微塵」という力強い表現で言い当てられている。普羅俳句の特色の一つである写生を超えた見事なまでの強調、誇張表現を見る思いである。

木漏れ日と青苔踏んで隠れん坊平 井 弘 美

  <主宰鑑賞> 
 青苔は「苔の花」の傍題であったりするが、最新の「角川俳句大歳時記」では「苔茂る」の傍題となっていて実態に適うかと。そんな青苔に木漏れ日が差せば、いよいよ青苔が美しく、木漏れ日も黄金色に煙るように立ち上ろうか。隠れん坊ならずとも、踏み込んでみて感触を味わいたいものである。
  

衆山皆響句抄

帆柱に白き帆思ふ風涼し倉 沢 由 美

  <主宰鑑賞>
 富山新港に常時停泊の帆船海王丸が先ず浮かぶ。真っ青な海と空を背景に二十九枚の白帆が広がる姿を見れば「海の貴婦人」と呼ばれてきたことに納得、見飽きない。掲句は、まだ帆が張られていない帆柱と帆桁のみ。それを見つめながらの満足感というところがいい。「風涼し」の心地良さもあろう。かつて大伴家持も堪能した青海原からの「あいの風」である。)

忽ちに雲の寄せ来るケルンかな角 田 睦 子
花火果て沖に漁火残りけり仕 切 義 宣
水辺など歩いてゆけば秋の風紺 谷 郁 子
閨(ねや)の闇抜け行く網戸よりの風勝 守 征 夫
元気さうと言はれ飲み干すソーダ水浜 井 さなえ
夏休み午前に泳ぐ子の多し加 藤 友 子
つくつくぼふし昨日より上手く鳴く 五十嵐 ゆみ子
老夫婦各々好む端居の場内 田   慧
軒下に雀の子用砂運び木 本 彰 一
桑の実に染まる手袋アイアンを杉 田 冨士子
噴水に負けじとジャンプ児は元気指 中 典 子
ばらばらの夏座布団や十五枚石 附 照 子
振り返りみるも楽しく草を引く平 木 丈 子
秋茗荷十もあればと葉を分けし八 田 尚 子
足の踏場探しあぐねる西瓜畑出 村 禮 子
床ふきて溽暑のあうら喜ばす金 谷 美 子
青芒掻き分け探す白き球船 見 慧 子

※上記、衆山皆響句抄の各句への<主宰鑑賞>は、俳誌『辛夷』の「鑑賞漫歩」に詳しく掲載されています。

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