辛夷句抄(令和5年8月号)

五岳集句抄

ベランダに蝶の触れゆくおじぎ草藤   美 紀
桑の実をふふめば母の幼ななる野 中 多佳子
さみだるる暗さがテスト用紙まで荒 田 眞智子
父の日や研ぎ減りしるき考の鎌秋 葉 晴 耕
蟾蜍(ひきがえる)飛騨の無住寺山を負ふ浅 野 義 信

青嶺集句抄

丹沢の渡渉にわらぢ山開き青 木 久仁女
あぢさゐの花少なきを詫びられて太 田 硯 星
山麓に雲流れ来し桷(ずみ)の花山 元   誠
朝風やビルの谷間の早苗田に成 重 佐伊子
ストローに軽く手を添ふ青葉風菅 野 桂 子
夫遺せしさつき満開なべて供花脇 坂 琉美子
箱釣を探して父の肩ぐるま明 官 雅 子
さみだれや背中をつたふ聴診器二 俣 れい子
小憩は紫蘭の丈の風うけて岡 田 康 裕
時の日の夕日ゆつたり沈みけり小 澤 美 子
五月闇一輪挿しの白き花北 見 美智子
片陰を拾うて来しがここまでと野 村 邦 翠

高林集句抄

墨痕の緑と光る走り梅雨道 端   齊

  <主宰鑑賞> 
 墨痕は筆で書いた墨の跡、その勢いが表面にあふれ出たのが墨痕淋漓。「緑と」の格助詞「と」は幾つか用法があるが、ここでは内容を示すもの。墨痕が「緑と光る」すなわち「緑となって光る」という。デフォルメ(変形や誇張)表現には違いないが、走り梅雨がもたらす青葉の凝縮が和紙を走る墨に映じているか。風や光線などによる瞬時の煌めきを捉える。

町ぬけしランナー迎ふ青葉潮漆 間 志 信

  <主宰鑑賞> 
 快晴のマラソン大会が浮かぶ。応援も多い町を抜けたランナーの目に飛び込んで来る青葉潮。「ランナー迎ふ青葉潮」の擬人法に詩情あり。青葉潮は元来、太平洋側を流れる黒潮をいうが、実際の例句を見ると日本海側でもよく詠まれている。青葉潮という色彩と語感の良さが広く俳人に愛されるか。
  

衆山皆響句抄

青芒釣人のみの通ひ径金 山 千 鳥

  <主宰鑑賞>
 河原か海に通じる荒地か、一メートルを超えて勢いよく茂る青芒の広がりがある。そこに「釣人のみの通ひ径」とは好奇心を搔き立てる。ご自身の「通ひ径」とも取れるが、発見されたものか。その見逃がしそうな小道、そして釣人が目にする水面の輝きや如何に。尖って剣のような青芒の葉を分け入られたか、否や。まさに脱日常の至福の世界への「通ひ径」。)

両の手の動くに任せ風炉手前中 島 兎 女
見落しの実梅しづかに落ちにけり 飯 田 静 子
松の緑欅のみどり古庭に 竹 脇 敬一郎
回廊を白無垢がゆく梅雨晴間小 林 朝 子
枇杷採りの子等の笑顔に声をかけ 田 村 ゆり子
草笛の音色かなしき訛りあり久 光   明
濃いめかと夏の化粧もコロナ明け 北 村 優 子
青ぐるみ振らば鈴の音こぼれさう 加 藤 雅 子
日向水昭和の頃は木の盥 山 口 路 子
鉢植に水たつぷりと気象の日畠 山 美 苗
雨降りて青葉の息吹庭に満つ発 田 悦 造
展望塔色とりどりの夏帽子稲 垣 喜 夫
渓流や熾火煽りて山女串 坪 田 むつ子
姉の忌に贈りたきもの薫る風若 林 千 影
目のとどく限り植田や試歩コース 稲 田 政 雄
夏帽子鳥取砂丘の二人かな越 橋 香代子
春宵の路地の地渋や雨上がり秋 本   梢

※上記、衆山皆響句抄の各句への<主宰鑑賞>は、俳誌『辛夷』の「鑑賞漫歩」に詳しく掲載されています。

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