前田普羅<33>(2023年7月)
< 普羅33 前田普羅の「梅雨」>
今回は、普羅の梅雨の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。
(抜粋p167) ひびき日ねもす梅雨の山
薬師立山しばらく見えし梅雨入哉
荒梅雨や何の木の実か空走る
梅雨寒し猫来て眠る本の上
この猫、人を見る目があるのかないのか、大胆にも普羅先生の大事な本を踏んづけて居眠るとは。読後感からして、この猫君は叱られたり追い払われたような形跡はなさそう。動物を優しく見守る普羅の心は、次のような句にも表れている。
馬の子のかぎたる草に梅雨の蝶
梅雨の蝶とは言っても、雨上がりの光の中の蝶であろう。日が射して湯気が上がりそうな草原、馬の子が草を嗅がんと顔を草に寄せる。馬の子といえど、その鼻息は蝶にとっては驚天動地の風圧だ。馬の子の瞳と梅雨時の鈍そうな蝶の驚きを、普羅の諧謔心がやんわりと包んでいる。
伐木のひびき日ねもす梅雨の山
採り上げられることもあまりない地味な句であるが、私の好きな句である。山中や渓谷に身を置くことを好んだ普羅ならではの句である。『飛騨紬』(昭和22年)所収の一句だが、それに先立つ『普羅句集』(同5年)では
日もすがら木を伐る響梅雨の山
の形で収められている。二句を比べて、「伐木のひびき」と打ち出して説明調を払拭したことなどで句が良くなっていよう。
梅雨の山中に響く木を伐る音は、かつての日本を象徴する音の風景の一つであった。
白樺を横たふる火に梅雨の風
美しく横たわる白樺を燃やさんとする風は、湿気十分な梅雨の風であり、土や木々の匂う山の風である。色彩と風の音、そして山家の暮らしの匂いがある。
荒梅雨や山家の煙這ひまはる
梅雨ながし静かに燃ゆる白樺
暮らしのための火を燃やす煙はいつも周りにあった。
(『辛夷』平成13年8月号掲載)