辛夷句抄(令和5年6月号)

五岳集句抄

生糸煮る大釜の錆び花曇藤   美 紀
春の燭ゆれて佳境の平家琵琶野 中 多佳子
歌舞伎座の見えて正せし藍縮荒 田 眞智子
万愚節特売セールに並びもし秋 葉 晴 耕
荷下ろしに蝶の付き来る野菜市浅 野 義 信

青嶺集句抄

雛納め雛にも齢しみじみと青 木 久仁女
湧き出づる雑事捌きて木の芽晴太 田 硯 星
一山の芽吹かむとして静かなる山 元   誠
烏の巣はづされ雲の残りけり成 重 佐伊子
花いかだ佐々堤の水迅し菅 野 桂 子
からつぽの日永のバスのゆるゆると脇 坂 琉美子
花の昼おひとり様のたぬき蕎麦明 官 雅 子
カップから選ぶ日永のティータイム二 俣 れい子
たがやしの土一色に花散り来岡 田 康 裕
うづら豆ふつくら炊けてお中日小 澤 美 子
愛犬を口笛で呼ぶ花の庭北 見 美智子
子雀や鉢を起して庭手入野 村 邦 翠

高林集句抄

葉桜や手術(オペ)は暫しの旅とせむ齊 藤 哲 子

  <主宰鑑賞> 
 「手術は暫しの旅」に先ず驚いた。その心の余裕と俳諧味に引かれる。長谷川櫂氏は「葉桜」には葉桜になってしまった嘆き、また桜の若葉に初夏を讃える気持の両面ありと解説(『新版角川大歳時記』)。掲句の「葉桜や」はまさに後者と読む。手術という緊張感ある旅を、初夏という活力ある季節の勢いで乗り切るものと祈りながら確信もする読後感である。

山里の秘話に纏はる椿落つ道 端   齊

  <主宰鑑賞> 
 一読、興味をそそる「山里の秘話」。悲話ならぬ秘話というのもいい。いかなる物語かは明かされようもないから、あれこれと想像をたくましくすることも面白い。人の暮しと深く関わる椿だけに「秘話に纏はる椿」は季語としても説得力があろう。そして「椿落つ」の結びで余韻を味わうこととなる。
  

衆山皆響句抄

どことなく春の匂ひや街騒に吉 野 恭 子

  <主宰鑑賞>
 街中を歩いての直感の働きによる「春の匂ひや」の吟。臭覚のみならず、それらしい趣をもいう「匂ひ」であることは言わずもがな。「どことなく」と軽やかな詠みぶりながら春の明るさと温みをしっかりと総身に吸収していよう。庭園や長閑な田園風景というのではなく「街騒」に春の到来を感じ取っているところに興趣も一入である。良き日であったろう。)

変電所の低き唸りや揚雲雀金 山 千 鳥
著莪咲くや菩提寺までのゆるき坂 東 山 美智子
苗札の最後の文字は土の中倉 沢 由 美
末黒野の果ての用水溢れたり藤 井 哲 尾
行くほどに道の細きや初桜浜 井 さなえ
よもぎ餅母の色より薄くなり加 藤 友 子
春炬燵ひとりで祝ふ誕生日 練 合 澄 子
公民館春こけら落しは投票所五十嵐 ゆみ子
春星や闇を深めて大社松 田 敦 子
忙しなや春日傘には無縁なる川 渕 田鶴子
蝶の飛ぶ庭を願ひつ手入れかな今 堀 富佐子
丸木橋渡つてよりの蕨採 平 木 美枝子
土筆たち日没近き日を浴びて西 田 武佐史
廃校の尊徳像に花吹雪仕 切 義 宣
昂りて寝付かれぬ夜の桜かな荒 井 美百合
若芝に靴脱ぎ大地を喜ばす田 村 ゆり子
糸桜はつかに昼の昏さもて永 野 睦 子

※上記、衆山皆響句抄の各句への<主宰鑑賞>は、俳誌『辛夷』の「鑑賞漫歩」に詳しく掲載されています。

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