前田普羅<32>(2023年6月)

< 普羅32 前田普羅と「御仏」>

 今回は、普羅のこころに響いた「御仏」の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋p84) 御仏を見し眼に竹の枯るるなり

 「御仏を」と詠んで、大和路にての作ではなくて佐渡でのものであることも面白い。晩年にかけての普羅の動きは実に活発である。娘の明子が結婚して独りとなってからの、すなわち昭和23年以降の足取りをたどって見ても、佐渡、大和、四国、伊勢、大和、東京の各地と巡り、同26年5月には四国、丸亀、そして6月にまた佐渡へと渡って、この句を詠んでいる。『定本普羅句集』ではこの句の前に「梅雨仏一指に印を結び居り」があって、その前書きに「真野村国分寺に薬師仏拝観」とある。その数句前には「竹の秋笹も秋なる佐渡に来ぬ」や、「韃靼の方は青空梅雨の海」などの吟も見られる。
 「御仏」とは、「延喜式」にもあり幾多の災禍からも難を免れてきた薬師如来像である。広く張った肩や胸など平安時代前期の彫りを伝えていて大らかで気品に満ちた御仏の像は、人生のための芸術に難渋して漂泊やまない普羅のこころには、さぞ美しくありがたく映ったのではなかろうか。そして、そんな眼に映る「竹の枯るるなり」は、御仏の功徳を感受して胸が熱くなっての反語的な表現のようにも思えるのであるが。

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