前田普羅<31>(2023年5月)
< 普羅31 前田普羅の「山吹と寝雪」>
今回は、普羅の「山吹と寝雪」の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。
(抜粋p69) 山吹や寝雪の上の飛騨の径
先ず、「寝雪」は「根雪」の誤植と思われようか。辛夷社刊『定本普羅句集』でも原典の『飛騨紬』(昭和22年)でも、この句のみならず「寝雪照るや」「寝雪につづく」などと用例が見られ、それは門人にも及んでいる。雪に圧倒されながらも雪を愛し雪の側に立っての「寝雪」という感覚である。情感としては「根雪」を凌駕するものである。山吹も普羅の好きな花である。普羅は少年の頃に読んだ『日本風景論』の「奥飛騨の春」と題した表紙絵にも感動して「奥飛騨の春を見得ることは換ゆるものなき自分の幸福となって居た」と書いているが、その絵には水に反る両三枝の山吹が描かれていた。『飛騨紬』にある「山吹にしぶきたかぶる雪解瀧」の句も現でもあり普羅の理想郷の光景でもあろう。
春もたけなわというのに、寝雪の上を滑るように飛騨の径があるのだ。しばし歩を止めもする普羅だが、これこそ飛騨の国、こういう生の飛騨の国の貌を見たかったのだ、と直ぐにも得心して目を輝かせながら歩み出すのである。同句集には「飛騨人や深雪の上を道案内」の句もある。歩きたくなるような「寝雪の上の径」である。