辛夷句抄(令和4年6月号)

五岳集句抄

ひと跳びの流れに確と水草生ふ今 村 良 靖
落つばき垂水の崖の泣き羅漢藤   美 紀
身の内の箍のゆるみも花の昼野 中 多佳子
昨日今日明日も晴天さくらかな荒 田 眞智子
膨らみし畦踏み固め春惜しむ秋 葉 晴 耕
花冷の喪服を吊す長押かな浅 野 義 信

青嶺集句抄

妹と姉欲しきかな桃の花青 木 久仁女
花の雲筵を踏んでしまひけり太 田 硯 星
暁の榛名囀りとめどなく山 元   誠
誕生日先づは花菜をゆでておく成 重 佐伊子
立山ヶ根に長靴愉し蕗のたう菅 野 桂 子
つつかけの足こそばゆし花なづな脇 坂 琉美子
清明やガラス地蔵へ水をかけ明 官 雅 子
月おぼろ問はず語りに歩を合はす二 俣 れい子
耕耘機始動一発春日燦岡 田 康 裕
いくたびも腰をなだめて春の雲小 澤 美 子

高林集句抄

老桜道の崩れを一歩づつ 野 村 邦 翠

  <主宰鑑賞> 
 樹齢二千年から千年という日本三大桜の山高神代桜(山梨)や根尾谷淡墨桜(岐阜)、三春滝桜(福島)とまでは行かずとも各地に見応えがある老桜がある。掲句では見学を阻むような「道の崩れ」が反って老桜への思いを募らせる。「一歩づつ」危険と隣合せで視野に入っている桜に迫る。それは自らの意志にして、また老桜の精に引かれて行くようにも思われる。

囀や疎林はもはや見通せず新 村 美那子

  <主宰鑑賞> 
 落葉して奥の方まで見通せる状態が疎林である。そんな林はどこか哀れで滑稽な感もあるが、それはそれで季節感を味わえる。が、いつの間にか囀に耳を傾けている頃になると疎林が緑の森へと変りつつあることに気付くのである。芭蕉の言葉「乾坤の変は風雅の種なり」を思い起こすような一句。
  

衆山皆響句抄

花満開風を治めて暮れにけり東 山 美智子

  <主宰鑑賞>
 満開の花に嵐が来れば花も終り。親鸞聖人の「明日ありと思ふ心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」が浮かぶ。「風を治めて呉れにけり」ならぬ「暮れにけり」。風を治めたのは満開の花とすると荷が重そうである。やはり天文を司る神か。そして静かに今日と言う日が暮れるのである。主体が複数ある芭蕉の「田一枚植ゑて立ち去る柳かな」に似た読後感。)

箱に苺労ふ言葉なけれども山 腰 美佐子
呼ぶ仕種に耕耘機止め早一時武 内   稔
夕日背に春耕の夫帰り来る正 水 多嘉子
映画館出でて日永と思ひけり斉 藤 由美子
歌舞伎座へ急ぐ裏道春の雨倉 島 三惠子
蕗味噌を少し甘めに子に持たす民 谷 ふみ子
新聞の切り抜きを綴づ夕長し久 郷 眞知子
年ごとに春の喜び越に嫁し多 賀 紀代子
春を詠む何処か似てをり去年の句に窪 田 悦 子
車から満月のぼる春の宵中 川 正 次
指栞して聞き入りし春時雨八 田 幸 子
花衣整へ遺影に見てもらふ砂 田 春 汀
重たげなリュックの跳ねて青き踏む般 林 雅 子
野遊びや薄手の上着ひるがへし石 﨑 和 男
八十路なる力試しに耕せり平 木 丈 子
亡夫愛でし野草やひそと春の野辺神 田 雅 子
すれ違ふ犬と目の合ふ春隣入 江 節 子

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