前田普羅<18>(2022年4月)

普羅18 前田普羅の「地貌」の句⑥>   

 今回は、土地の人々の営みから生まれた「地貌」の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋p82) 畑打が残せば花菜散るばかり

 昭和24年の春、大和関屋の門人奥田あつ女家に逗留していた普羅が豊かな大和平野を逍遥しての作である。『定本普羅句集』に続く次の句「一本の大根種とて花栄華」もその足取りの延長上のものであろう。奥田あつ女の案内による大和路の春の情緒を満喫しての楽しい吟行であったに違いない。
 掲句での「散るばかり」がいかにも普羅らしい把握である。「散りにけり」でも「散りをりぬ」でもなく「散るばかり」なのである。菜種の花の時期も終わって当然に畑も打ち返される。天地返しで黒く光りやまない畑土には自然の息吹を感じて見飽きないものである。たまたま隅の方に、遅ればせながら花を掲げている菜種があって残されているのである。そうしたことは間々あることかもしれないが、そこが大和の国原であればなお一層にゆかしくも思われてくるのである。麗かな陽光の中で、その花菜が散っているのも美しい光景に違いない。それを美しいと留めることなく、否、留めることができなくて「散るばかり」と措定するところに、普羅の晩年へと向かう孤愁を思うのである。

(抜粋 p54) 代馬の静かに歩む飛沫かな

 「代馬」は「代掻き」をする馬で「田掻き馬」とも。トラクターなど機械力のない時代は「代掻き」も重労働であった。田植え前に、田の底の土塊を砕き掻き回して田面を水平に均して行く。田面が凹凸であれば、早苗に浮き沈みができて生育がままならない。田の水持ちもよくなるなど重要な仕事である。この句が成った大正から昭和の頃は、人力や馬や牛の力に頼る作業であった。荒起こしをして水を入れた田に、1メートル幅ほどの鉄製櫛形の馬鍬を曳いた馬や牛が進んで行く、そんな光景があちこちで見られたに違いない。直ぐに植代となるわけではなく、1枚の田を幾日も代馬が行き来した。
  省略されてはいるが、飛沫を上げて静かに歩む代馬の周りには、鴎や鴉や鳶が騒がしく飛び回っている。馬が1歩進むたびに掻かれた土から蚯蚓などの虫が踊り出るのだ。鳥に餌を与える王者のごとき貫禄で代馬が歩む、と眺め飽かない普羅であった。端唄をよくするなど江戸情緒の粋人、普羅が時を忘れて見入っているのである。後に「地貌」論を展開する普羅の次第に風土に溶け込んで行く姿がそこにはある。『定本普羅句集』所収。

 普羅の「地貌」の句を6回にわたり紹介してきましたが、普羅の句を鑑賞する際には、その地勢の趣や、そこに生きる人々と自然とのかかわりを読み取ろうとする姿勢が大切だと思っていただけたのではないでしょうか。次回からは、「地貌」の句も含めて、普羅の自然を詠んだ句を紹介します。 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です