前田普羅<17>(2022年3月)
<普羅17 前田普羅の「地貌」の句⑤>
今回は、雪国独特の「春と雪」の組み合わせの「地貌」の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。
(抜粋p64) 弥陀ヶ原漾ふばかり春の雪
定本普羅句集』では、この句の前に「大空に弥陀ヶ原あり春曇」の句を載せている。弥陀ヶ原とは、三千メートル級の峰々が並ぶ立山連峰の中ほどに広がる大高原である。標高二千メートル前後にして南北2キロ、東西4キロに及ぶものであり、富山市内はもとより富山県内の各地から長々と空に横たわる高原大地を望むことができる。
一句は「弥陀ヶ原漾(ただよ)ふばかり」と「春の雪」との組み合わせであって、「漾ふばかり」はあくまでも弥陀ヶ原である。「大空に弥陀ヶ原あり」といい、そして「弥陀ヶ原漾ふばかり」という距離感覚からすれば、富山市内にあった普羅の自宅の庭先からか、あるいは市内を歩きながらの眺望のように思われる。
「春の雪」をどう読むか。春雪の降る中での光景とも取れるが、雪は必ずしも降ってはおらず、「春の雪」とは弥陀ヶ原を覆い尽くした雪の光景である。薄々としながらも時折強い日差しの中に、弥陀ヶ原は「春の雪」を被いた美しき浄土として大空に広がっているのである。天空を立体的に取り込んだ一句からは、富山での暮しの安定も思われる。
(抜粋 p68) 青々と春星かかり雪崩れけり
透徹した「青々と」した美しさ、轟きも極まるかのような「雪崩れけり」の切れ。一読、人界を遠く離れた岳嶺を思い浮かべるが、一句の舞台は人が往き来する山道である。そこは、風の盆で知られる越中八尾の町から4キロほども山に入った、神通川支流の室牧川上流の谷底にある下の茗(したのみょう)温泉へと至る雪道。下の茗温泉は、富山藩十代藩主前田利保も湯治で訪れた記録も残る名湯である。一軒宿の秘湯であったが、平成11年に閉鎖している。この句の昭和11年当時は、普羅の高弟で八尾町長にもなった橋爪巨籟が守っていた。
句については普羅自身が次のように書いている。「空気には水分も塵埃もなく、地上は厚い雪だ。提灯を消すと空はますます冴え、雪と星との薄あかりの世界、対岸の山の尾根に近い青い大きな星は呼吸して居る様に瞬き出した。気がゆるんだ様に対岸の絶壁を細い雪崩がドウ、ドウと落ちそめる」と。地貌を見据えて、そこに暮す人々のこころにも触れようとした普羅には、見飽きることのない、現でありながら夢のような世界であったろう。普羅の歓喜に応えて瞬きやまぬ「青い大きな星」である。『飛騨紬』所収。
山々と春の雪、さらには春星との組み合わせは、雪国独特の美しい風景であり、普羅を魅了してやみません。冬の厳しい美しさを詠む普羅とはまた違って、春の到来の喜びを胸に、雪国の大自然を楽しんでいる普羅を思います。
次回も引き続き普羅の「地貌」の句を紹介したいと思います。