辛夷句抄(令和3年11月号)

五岳集句抄

   
タクシーに合図の腕を秋の風今 村 良 靖
送られて来し大梨の座りよし但 田 長 穂
月代や開演一笛薪能藤   美 紀
汕頭(スワトウ)のハンカチ膝を正したり野 中 多佳子
絵日傘の影の濃淡交差点荒 田 眞智子
溝萩をお裾分けとす無縁墓碑秋 葉 晴 耕
立山の雲積む日なり松手入浅 野 義 信

青嶺集句抄

 
寺までの近道畦の曼殊沙華青 木 久仁女
光たる秋果を配る地鎮祭太 田 硯 星
立山ヶ根で何を語らむ盆の月山 元   誠
雨後の草に踵埋めて立秋忌成 重 佐伊子
コロナ禍を糸瓜育ててつつがなし菅 野 桂 子
ペダル踏む肩で稲の香漕ぎ分けて脇 坂 琉美子
朝顔や父は碁石を拭き始む明 官 雅 子
秋の雨はつと明るき皿小鉢二 俣 れい子

高林集句抄

夕焼を風呂の鏡に見届けて   岡 田 康 裕

  <主宰鑑賞> 
 さりげなく詠まれているが、確かな美意識が感じられる。それは結びの「見届けて」から分かる。外出からの帰路か、あるいは畑仕事の仕舞際でその身は夕焼に染まっていたのである。さぞ荘厳な光景であったかと。そして西方浄土を想わせる鮮やかな茜色を「風呂の鏡に見届けて」に美の追求者としての喜びもあろう。鏡面の夕焼の茜色が次第に褪せ行く。

吹かれ来て供華にやすらふ秋の蝶谷   雅 夫

  <主宰鑑賞> 
 「花と蝶」ならぬ「供華に秋の蝶」である。自ずと墓地が浮かぶ。遠くから「吹かれ来て」そして選りに選って「供華にやすらふ」とは可笑しさもあり、美しさの中にそこはかとなく哀れさが漂う。蝶も「秋の蝶」であって趣も深い。生きとし生ける物の、その命の在り様に思いをめぐらすのである。
  

衆山皆響句抄

病床の友は寝たるか窓の月浅 尾 京 子

  <主宰鑑賞>
 「窓の月」とは窓に差し込む月影すなわち月の光、また窓から眺める月を言う。作者の京子さんは窓から月を眺め、そして病床に臥す友には月の光が優しく差しているか。闘病生活の友の一日を思い遣る、そんな思いが溢れた「友は寝たるか」の表現であろう。人は月に祈り、願い事をしてきた。友の一日も早い恢復を祈る一句であることは言うまでもない

    
帰燕後の電線太く影落とす金 山 千 鳥
虫時雨書を閉ぢたれば夜も更けて永 井 宏 子
家中(いえじゅう)に玩具散らばる残暑かな中 村 伸 子
ひとり居の夜食絵皿を楽しみて高 橋 よし江
秋高しオール漕ぐ手の逞しき粟 田 房 穂
鶏頭の増えたる庭が動き出す佐 渡 稚 春
スニーカーに朝露法起寺法輪寺あらた あきら
新涼の未だ薄物身につけて浜 井 さなえ
花立に水足せば来し秋の蝶中 林 文 夫
湧水を秋のひかりを汲むごとく山 藤   登
トランポリン跳びたる高さ雲の峯松 原 暢 子
手術日や銀河の中に身をあづけ宮 浦 純 子
秋灯下鶴と化したる薬包紙八 田 幸 子
何告ぐや一発花火秋日和北 島 ふ み
烏瓜剪らるる時を垂れ競ふ川 田 五 市
秋牡丹遅れおくれの里墓参水 戸 華 代
蝉の羽幾つかを踏み小径ゆく堺   茂 樹

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です