前田普羅<9>(2021年7月)
<普羅9 前田普羅の富山移住前④ 普羅の自然詠 >
今回は、普羅の自然への思いを込めた原点ともいえる句を見ていきましょう。主宰中坪達哉の著書『前田普羅その求道の詩魂』の「普羅と語る」から紹介します。
(抜粋1 p41) 雪解川名山けづる響かな (大正4年)
少年の頃より志賀重昂の『日本風景論』を読み、また山岳に明るい普羅が固有名詞を出すことなく、あえて「名山」と置いている。その「名山けづる」を受けて「雪解川」も、ただの川であることを許されなくなる。読者も上五の「雪解川」へ呼び戻されて、破壊力ある激流を想うのだ。この上五、中七と続く重量感ある流れを、「響かな」と結んで格調の高さと強い余韻をもたらして巨大な自然エネルギーを実感させるのである。
誇張といえば、これほどの誇張があろうか。批判の向きもあるかもしれないが、それを跳ね飛ばすだけの普羅の情念と一句の力が感じられる。後に「地貌」論を展開するようになる普羅であるが、自然の底知れぬ力と魅力に全身で真向かった、その胸奥から迸り出たものであろう。丈高い山岳詠をなし、また渓谷に入っては己が安心立命を図ろうとする普羅の自然への親愛を思わせる一句である。
(抜粋2 p52) 雪晴れて蒼天落つるしづくかな (大正2年)
「雪晴れて」とは、降り続いた大雪もようやく止んだ久方ぶりの快晴であろう。昨日までの重苦しい空模様とは一転して、目も眩むほどの陽光の中に立っている普羅の毅然とした立ち姿が浮かんで来る。一面の白銀の世界が放つ輝きは、目や頬を痛いまでに刺すばかりの強さであろう。白銀に映えた蒼天は大地を圧するかのように近々として、大屋根や樹々の高みからは雪解けの雫が轟き落ちている。「蒼天落つる」は、そんな光景を瞬時に切り取った普羅独特の気息充実した豪快な表現である。
この句は普羅が『ホトトギス』の虚子選で初巻頭を取った大正2年3月号の中の一句である。他には「農具市深雪を踏みてかためけり」「荒れ雪に乗り去り乗り去る旅人かな」「雪明り返らぬ人に閉しけり」「雪垂れて落ちず学校始まれり」などの句がある。初巻頭が雪を主題にしたものであることに注目する。富山に移住することとなる、その11年も前にこうした作品を発表していることも興味深い。何か、その後の普羅の俳人生を暗示しているかのようでもある。
普羅の自然への憧れと、その眼差しから生まれた格調高い俳句は、すでに富山移住前に生まれていました。その後、富山移住によって普羅の俳句はより深化し、多くの人に愛されている自然詠、山岳詠が数多く生まれています。今後、それらを紹介できることがとても楽しみです。次回は、『ホトトギス』における普羅を紹介し、富山移住前のまとめとしたいと思います。