辛夷句抄(令和3年7月号)

五岳集句抄

   
大声で原を駆けたし春しぐれ今 村 良 靖
存分に水撒き薔薇の門開く但 田 長 穂
箱根路や雀隠れに姫地蔵藤   美 紀
少年の横顔まぶし森五月野 中 多佳子
黙煙の男に躑躅明りかな荒 田 眞智子
杭の影水面にゆるる日永かな秋 葉 晴 耕
古町のいま真つ新な鯉のぼり浅 野 義 信

青嶺集句抄

 
今日の百歩明日へつなぎ麦の秋青 木 久仁女
払暁の土の匂ひに春惜しむ太 田 硯 星
春暁の散歩果てなき古都の路地山 元   誠
花行脚人に蹤かずに風に蹤く成 重 佐伊子
へちまの芽片葉に土をちよと乗せて菅 野 桂 子
残雪の剱岳引き入れ水田伸ぶ脇 坂 琉美子
行く春のシャボン香りてとをの指明 官 雅 子
風五月帰れぬ子らの窓開けて二 俣 れい子

高林集句抄

気儘なる我に気紛れ目白来る  小 西 吉 子

  <主宰鑑賞> 
 中西悟堂と共に野鳥の専門家であった山谷春潮の「野鳥歳時記」(初版昭和十八年)では無季とされる目白が、その後の各種の歳時記では春、夏、秋など様々だから面白い。小庵では山茶花の盛りに目白の群れが来ることも。掲句では対になった「気儘」と「気紛れ」に俳諧味がある。実は、つかず離れずに吉子さんの様子をうかがっている目白かも知れない。

親の戻る風と分かるや燕の子  野 村 邦 翠

  <主宰鑑賞> 
 顔も見えなくなるほどに大きな口を開けて餌を求める燕の子である。その懸命さに驚くのだが、さらに餌を運んで戻りつつある親の気配を察するならば凄いことである。天敵には無防備といっていいほど弱い燕。こうした研ぎ澄まされた感覚があってこそ生きて行けるのであろう。頑張れ、燕たち。
  

衆山皆響句抄

一本の枝垂桜は夜を呑む         倉 沢 由 美

  <主宰鑑賞>
 一読、福島の三春滝桜などが浮かぶ。樹齢も千年を超えた鬼気迫る威容はもはや人知の及ぶところではない。「夜を呑む」とは、枝垂桜だけが存在し得る闇濃き夜の舞台なのであろう。「一本の」を「ひともとの」と読むか「いっぽんの」とするか。「夜を呑む」という地底から盛り上がるような老大樹の凄まじさを思えば「いっぽんの」との強い語感が適うようにも。

 
院日永手首をまたも測りをり磯 野 くに子
明るきを集めて春の落葉掃く寺 田 嶺 子
ワックスを掛け若葉風誘ひ入れ川 渕 田鶴子
実梅捥ぐ身籠りし頃ふとよぎる八 田 幸 子
伸び縮み柱を磨く立夏かな今 堀 富佐子
航空ショー爆音さなか蝶の昼島 田 一 子
トロフィーの残る廃校若葉風小野田 裕 司
春水に風の触れたる光かな金 谷 美 子
薫風や連休明けの美術館正 水 多嘉子
うららかに軋む列車に身を任せ中 村 伸 子
チューリップフェア往き来の海もまた良けれ斉 藤 由美子
玉虫の死して愈々発光す那 須 美 言
畝づくり急かさるるごと柿若葉清 水  進
熊笹は木洩れ日返し雉子の声民 谷 ふみ子
草笛は今も掠れて五十年北 川 直 子
氈鹿の足跡に沿ひ春山を野 間 喜代美
不覚にも下駄ばき散歩芝桜岡 田 杜詩夫

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