前田普羅<36>(2023年10月)

< 普羅36 前田普羅は「漂泊の俳人」>

 今回は、普羅の「漂泊」について、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋p92) 「地貌」を詠む漂泊の旅

 前田普羅の句には、今日一般的にいうところの旅吟というものは存在しない、それが過言というならば、きわめて少ないというべきか。普羅は基本的には漂泊の俳人である。止むにやまれぬ懊悩の末に旅に出る、と私は考えている。そして、その俳句精神には学ぶべきことが多い。

  かりがねのあまりに高く帰るなり   普羅

 亡くなる4年前の昭和25年の作である。「あまりに高く」が、もの悲しさを超えてすさまじくさえある。あまりにも高き雁の飛翔は、果てしなき求道の途にある普羅自身の、漂泊に老いた孤独な姿とも重なって見える。普羅の漂泊は本性のしからしむるところもあろうが、少年時代に出会った志賀重昴の『日本風景論』の影響も大きいように思う。日清戦争の最中に出版された同著は、日本の風景は世界の中でもすばらしいと説くものだが、少年普羅のこころに各地の風景に直に触れたいという願望が生まれたと思われる。それが、後に風狂のこころとも相俟った旅路につながって行くこととなるのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です