五岳集句抄
春の雪野佛小さくうづもりて | 藤 美 紀 |
冴ゆる夜を小銭鳴らして町の湯へ | 野 中 多佳子 |
雪しんしん母の命の音とをり | 荒 田 眞智子 |
春一番歩幅の小さき背を押さる | 秋 葉 晴 耕 |
梅三分といふ青空の港町 | 浅 野 義 信 |
青嶺集句抄
冬ひばり空の青さに降りて来ず | 青 木 久仁女 |
幾度も経にかぶさる冬嵐 | 太 田 硯 星 |
初御空山も心も朱に染めて | 山 元 誠 |
ベランダに根菜置いて春を待つ | 成 重 佐伊子 |
今日晴れて見上ぐるものに冬木の芽 | 菅 野 桂 子 |
寒紅をひとさしチャイムへと急ぐ | 脇 坂 琉美子 |
てのひらのくぼみにひとつ風花す | 明 官 雅 子 |
雪洞の影や官女のらふたけて | 二 俣 れい子 |
ハガキ手に四温の昼を写真展 | 岡 田 康 裕 |
灯明に僧の摺り足冬深む | 小 澤 美 子 |
クッキーのうさぎ次々春立つ日 | 北 見 美智子 |
跳び止まぬ雀が一羽梅蕾む | 野 村 邦 翠 |
高林集句抄
<主宰鑑賞>
「てあぶり」とは懐かしい言葉の響きである。鉄瓶や茶釜用の瓶掛もあるが、ここは普通の手焙か。今も親しく使われているのが嬉しい。炭の穏やかな温みと火箸で灰を掻き均す感触がたまらない。何をするでもなく両手を手焙に預ける一時の、自ずから正座した姿は日本画の題材ともなろう。それは気分を一新して生気を取り戻す大事な一時のようである。
<主宰鑑賞>
不老長寿は古来より人の願い。くぐれば老いることがないという不老門が各所に作られてきた所以。そんな門をくぐるかのように探梅の歩を進めているとは、何とも斬新な一句である。「不老への門」であって実際の不老門をくぐるのではない。梅を探る歩みが不老へと導かれて行くとの感覚であろう。
衆山皆響句抄
<主宰鑑賞>
台所で食事の支度をしながらも四季の移ろいは十分に感じられる。冬場でエアコンも入っているに相違なく、また「煮物盛る」からは時間的な経過も思われて体もそれなりに温まっていよう。が、「足下に雪降る気配」を禁じ得ないのである。雪が降り出すと思うときの寒さは、やはりどこか違う。天空の気象の変化を足下の皮膚感覚でうべない、舞う雪片を想う。
山積みの葉つき大根われも手に | 吉 野 恭 子 |
腕によりかけてもてなす榾の宿 | 西 山 仙 翁 |
羊羹の桃色淡し白障子 | 柳 川 ひとみ |
無住寺へ登る参道下萌ゆる | 田 村 ゆり子 |
左義長の燃えて昭和の匂ひ来る | 久 光 明 |
あたたかや九十六歳姉の試歩 | 谷 順 子 |
猫の恋アイロンがけも丁寧に | 内 田 慧 |
風と来て風と去りたる梅見かな | 石 黒 忠 三 |
臘梅を届けて香り手に残る | 砂 田 春 汀 |
燈明のゆらぎ微かや春隣 | 平 木 丈 子 |
雛かざり今年は二日早めたり | 水 上 美 之 |
立春や断捨離は未だ先のこと | 西 田 満寿子 |
雪掻きて百歳体操休みとす | 今 井 久 雄 |
春愁をはらふに窓をあけはなつ | 坂 東 国 香 |
インタホンに姿を残す寒念仏 | 片 山 敦 至 |
窓を開け寒風に身を浄めけり | 木 谷 美 以 |
郵便のバイクの響き山笑ふ | 髙 田 賴 通 |