前田普羅<15>(2022年1月)

普羅15 前田普羅の「地貌」の句③>   

 今回は、「地貌」論の視点から鑑賞すると、より深い味わいを感じることのできる普羅の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋 p55) 雪山に雪の降り居る夕かな
 越中八尾の山中で成った一句で昭和6年4月発表のもの。(中略)
 雪山にいつ果てるともなく降る雪、その皚々たる雪山もいつしか夕べとなって来た。静謐で哀しく荘厳なる夕べの彩りが普羅の眼には映っているようである。小さな人間の生死を超えた浄らかな世界が見えてくる。風土に根ざした山恋いと雪恋いが結晶した普羅代表作の一つといえよう。「自分も雪国に来り住んで、雪国の懐に抱かるる事すでに9年、雪国の姿も心も、自分の胸にしかと描き尽されて居るやうに思ふ」とは作句の翌年の言葉だが、まさにその心境を表した一句といえようか。『新訂普羅句集』所収。

(抜粋 p73) 色変へて夕となりぬ冬の山  (『飛騨紬』所収)
 越中から飛騨の国にかけて山々は数多いが、掲句の「冬の山」は立山の嶺々のようにも思われて面白い。「色変へて夕となりぬ」と冬山を仰ぐ光景を想うならば、「立山のかぶさる町や水を打つ」と詠んだ立山の嶺々が相応しく、一句がより壮大なものとなるからである。「冬の山」は深々と真綿のふくよかさをもって、この世を浄めんとする威厳と慈愛に満ちた表情で蒼天に立っている。それが夕茜に染まった姿は西方浄土をも想う荘厳なるものである。そして、夕日が急ぎ足で沈み始めるにつれて、雪の山肌も次第に白みがかり、やがて灰色へと化していく。夕照に続く灰色の薄暗い世界に、独り、取り残されたかのように嶺々を凝視しやまぬ普羅の後姿が浮かんで来る。

 二句とも明確に具体的な景をもつ句ではありませんが、「地貌」の句として見ると、情景がありありと浮かんできます。「雪山に」の句は、富山でも雪深いと言われる越中八尾の山中での句であり、雪の情景や、訪れた普羅の姿、八尾の人々の生活の営みなどの様々な景を想像することができます。「色変へて」の句を立山の夕茜とすれば、富山のだれもが魅了されている美しい情景が目に浮かびます。さらに、この「地貌」の句として見えてきた景は、富山にとどまらず雪国の普遍的な景にまで昇華していると言えるかもしれません。

  次回も引き続き普羅の「地貌」の句を紹介したいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です