前田普羅<14>(2021年12月)

普羅14 前田普羅の「地貌」の句② >   

 今回は、冬の富山の風土から生まれた普羅自身の「地貌」の句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋 p46) うしろより初雪ふれり夜の町
 富山へ移住した普羅は、昭和4年の1月より『辛夷』の発行を自らの責任において担うこととなる。北陸における『ホトトギス』の衛星誌として大正13年1月に創刊された『辛夷』は名実とともに普羅の主宰誌となった。その3ヶ月後には、富山永住を決意して報知新聞(当時は一般紙)富山支局長の職を辞し、俳句一筋の生活に入った。こうした人生の大きな転機となった普羅44歳の冬に、富山市内で詠まれたのがこの一句である。
 「人を待つ」との前書きがあるが、往時の富山市内は現在では想像もつかない光景だ。市街地の真ん中には神通川の直線化工事による廃川地すなわち旧河道が走っていた。そんな町の人通りもないような寒い夜に一人佇んで人を待っている。襟や頬を掠める寒気が次第に鋭くなって初雪が舞い出す。実に寂しく冷たい初雪である。「うしろより」からは、闇に沈みながら普羅に迫って来る立山の嶺々を思う。読後感としては、「人を待つ」というよりも、冬を迎えた越中の風土を総身で体感しつつ、これから訪れる己が俳人生そのものを見据えて決意を新たにしているようにも読めるのである。『普羅句集』所収。

(抜粋 p51) 雪卸し能登見ゆるまで上りけり
 「能登見ゆるまで」に詩情もあれば、普羅の弾んだ心もうかがえる。寒晴れの湾上に横たわる能登半島の美しさを思う。雪とは縁のなかった普羅が、雪下ろし(雪卸し)で屋根に上っている、そんな光景を思い浮かべるのも楽しいことである。普羅時代の『辛夷』誌には、雪積む屋根に上っている普羅の写真もあった。
 この句を収める『普羅句集』の上梓は昭和5年だが、今日のような地球温暖化もなく、また除排雪の機械力もなかった時代である。「どか雪」はいうに及ばず数日も降り続けば、道という道は、降る雪と、屋根から下ろした雪とで埋まってしまったであろう。屋根雪の重さは侮れない。やわらかい雪も積もるにつれて次第に締まって重くなる。家のあちこちで戸の開け閉めにも不自由し出し、放っておけば家の倒壊ということもありえた。
 冒頭に置く「雪卸し」の表現は普羅としては安易なようにも思えるが、それも、富山に移住して「雪卸し」も行うなど風土に溶け込んでいる、という喜びと自負心の表れのようでもある。雪卸しを詠んで、こんなに弾んだ句を他には知らない。

 「普羅3」で紹介しましたように「雪の詩人」と言われるほど雪の絶唱の句が多い普羅ですが、雪国の生活の中の句にも普羅の生きる姿が見えてきて、味わい深いものがあります。次回も引き続き普羅の「地貌」の句を紹介したいと思います。

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