前田普羅<12>(2021年10月)

普羅12 前田普羅の「「地貌」論   

 普羅の俳句の特色の一つに「地貌」論が挙げられます。主宰中坪達哉は、著書『前田普羅その求道の詩魂』で、【 普羅は、それぞれの地域の自然の特色とそこに織りなす人々の暮らしを「地貌」という観点から捉えた。「地貌」とは、もともと地表面の高低・起伏・斜面などの状態をいう言葉だが、普羅は自らの俳句の理念を示す術語として止揚した。】(p15)と述べています。また、この「地貌」論の視点から普羅の俳句を鑑賞すると、句の世界をより深く味わうことができます。今回は、主宰中坪達哉の解説で、普羅の「地貌」論を紹介します。 

(抜粋 p93)普羅の「地貌」論< 紹介① >
 「地貌」とは元々、地理用語だが、普羅は句作における「地貌」論を唱えた。すなわち、各地の地塊が異なり各独自の理想を有する地形が出来上がるように、そこでの人生にも地貌の母の性格によって独自のものを有することとなる。だから、その土地でなければ詠めない句を詠むべきである、と説くのである。

(抜粋p97)普羅の「地貌」論< 紹介② >
 国別三部作は、普羅のいわゆる地貌論、すなわち地形や気候が異なれば植物も異なるように歴史、風土も異なり、そこでの人生も自ずと異なるから、それに適った句を作らねばならない、との考えにもとづくものである。

 いかがですか? 上記2つの解説によって「地貌」論のおおよそを掴んでいただけましたら、主宰中坪の解説で、「地貌」の句を見てみましょう。

(抜粋p17) 人住めば人の踏みくる尾根の雪 『飛騨紬』

 この句には、厳しい風土に暮らす山人に向けられた普羅の熱い眼差しがある。厳冬期の山人が人里に下りてくるためには、雪の尾根を命懸けで渡って来なければならない。秋まで通った渓谷の径は雪崩の恐れがあるからだ。一読、大自然と一点の山人の構図の巧みさにうならされる。が、やがてしみじみと奥山に住む人々の哀しみが伝わってくる。「地貌の母の性格」によって独自の人生とならざるを得ないことを具体化した一句である。

 また、主宰中坪は「普羅の地貌論が世に明らかになるのは昭和21年刊の『春寒浅間山』であるが、この『普羅句集』にも、その精神がうかがえる」(p91)、「早い段階から句作では実践しているといえる」(p42)、「普羅の作品全般に共通するものと考えた方がよいのではないか」(p16)等、述べています。

 次回からは、普羅が「地貌」そのものに魅せられた句、風土とそこに生きる人々を見つめた句などを紹介したいと思います。

(抜粋)『春寒浅間山』序より
 自然を愛すると謂ふ以前にまづ地貌を愛する……此の山は、此の渓谷は、此の高原は、……それらの地貌は、地球自らの収縮と爆発と、計るべからざる永い時てふ力もて削られ、砕かれ、又沈殿集積されたる姿である。……其処に各独自の理想を有する地形が出来上って居た、一つ一つの地塊が異なる如く、地貌の性格も又異ならざるを得なかった。空の色も野山の花も色をたがへざるを得ない。謂はんやそれらの間に抱かれたる人生には、地貌の母の性格による、独自のものを有せざるを得ないのである。

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