辛夷句抄(令和2年11月号)

五岳集句抄

ひぐらしや思ひめぐらす明日のこと今 村 良 靖
女傘杖とし登る立秋忌但 田 長 穂
聞香や白寿ことほぐ萩の寺藤   美 紀
つくつくし折目正しき父の恩野 中 多佳子
秋天へ紬ゆらせて伸子張荒 田 眞智子
よく噛めと念をおすかにつくつくし秋 葉 晴 耕
秋風やポポと鳴りたる墓の燭浅 野 義 信

高林集(一)句抄

輪の歪むところに入りて盆踊青 木 久仁女
秋雨の淡き光に能舞台太 田 硯 星
赤城より日雷も下りて来し山 元   誠
朝顔市売り子のをとこ言葉かな成 重 佐伊子
七分とも咲き揃ふとも稲の花菅 野 桂 子
水拭きのひと拭き毎の涼新た脇 坂 琉美子

高林集(二)句抄

子ら居らぬ盆の築山掃きゐたり岡 田 康 裕

  主宰鑑賞 
 「子ら居らぬ盆」は新型コロナウイルス感染防止の帰省自粛によることは明らか。「築山掃きゐたり」が一句の花とも言うべき豪勢な光景。広々とした庭だけに「子ら居らぬ」寂しさ、空虚感がより募るか。これがコロナ禍も終息後となれば、「子ら居らぬ」は別の理由に様々に鑑賞されるかも知れない。それは句に普遍性、生命力があるということで、それもよし。

山あざみ天平仏へ男坂石 原 照 子

  主宰鑑賞
 天平仏といえば「(あお)()よし()()京師(みやこ)は咲く花の(にお)ふがごとく今さかりなり」を想うが、天平仏は関東にもある。内部が空洞で漆箔に彩色を施した乾漆像の永遠なる美。山薊を目にしながらの男坂は何処であろう。「天平仏へ」は御仏に引かれた和辻哲郎の『古寺巡礼』の世界を呼び起こしてくれる。

衆山皆響句抄

ハンディファン止めずに子らや冷房車平 井 弘 美

  主宰鑑賞
 ハンディファンは充電式の手持ち扇風機。手のひらサイズで如何にも軽そう。つくづく扇子との違いを思う。面白いのは、否、不思議なことは、お子さんたちが快適な冷房車内でもハンディファンを止めないこと。不要でもあろうし、冷え過ぎないかとの疑問が湧く。そして、これが若さの証明というものか、と微苦笑に変る。扇子の方がいいと思うのだが。

園児らのどの子も日焼してをらず稲 田 政 雄
茄子とりに鋏鳴らして突つ掛けで北 島 ふ み
昼餉の間に野良着乾けり秋澄みて藤 井 哲 尾
地蔵盆用意の茶菓子多目にと水 上 美 之
宅配の姉の字太く梨届く堺 井 洋 子
経読むや応へるやうに蓮ひらく粂  千鶴子
足の位置定めて洗ふ大根かな武 内   稔
鶏頭は古庭にあり日は高し竹 脇 敬一郎
岩肌を虹色に染め滝しぶき平 田 外喜夫
うなだるる向日葵に声掛けもして斉 藤 由美子
先導はいつも風なり萩の径谷   順 子
カーテンを洗ひて風の中の秋永 井 宏 子
前を行く革ジャン秋の空に消ゆ大 野 恭 佳
誰も来ぬ風も通らぬ夏座敷大 塚 諄 子
テレワークの夫の傍ら梨を剥く倉 沢 由 美
水澄みし木蔭に童話浮かびたり八 田 尚 子
電柱の影に身を入れ秋暑し立 花 憲 子

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