辛夷草紙<51>(令和5年9月)
<草紙51>「 前田普羅 と 牧野富太郎博士 」
もうすぐNHKの連続テレビ小説「らんまん」が最終回を迎えます。私は、ある時から主人公の万太郎が植物に話しかける眼差しや言葉に、前田普羅の姿を重ねて見るようになりました。と言うのは、万太郎のモデルである牧野富太郎博士との交流を、普羅が心から喜んでいた述懐を読んだからです。その交流から詠まれた句からも、普羅の植物への眼差しが感じられるようになりました。
以下にそれを紹介します。普羅が自身の句とその背景や思いなどを綴った『渓谷を出づる人の言葉』から引用しますが、現代の表記に直して紹介します。
葛の葉や飜るとき音もなし
俳句に関係の深い植物だけでも、実際に研究しておいたら、と久内清孝氏が言われたので、ちょうど萩の真っ盛り、先ず萩だけでも調べてみようと、久内氏に従い胴乱をかついで野外に出て、同氏の指揮で植物を見始めたのは、自分が植物に対する関心の糸口であった。萩の種類は多かった。萩の種類の多い事よりも、萩を求めるために草木を分けて歩く間に見た、あらゆる植物の形態美は、どんなに自分を搏(う)った事だろう。自分は野外採集の最初の日において、萩ばかりじゃない、凡ての植物を打ち眺めようと決心した。歴史の古い、また創立理由の最も美しい横浜植物会例月の野外採集に出ては、理学博士牧野富太郎先生をはじめ、その門下の若い沢山の自然科学者に接する事が出来た。牧野先生に直接に指導して頂く外にこれらの若い自然科学者の日常の研究を知り、また久内氏からその師牧野博士の近況や研究を聞く事は自分を喜ばせた。殊に世界的科学者にして一面また飄々たる自然人の風格を有する牧野先生に近接する事は、月に一回の野外採集をどんなに待ち遠しがらせた事であろう。
農林省に居られる農学博士桑名伊之吉先生も、植物の研究は君の俳句に新天地を拓くだろう、と喜んで下さった一人であった。
かくて横浜郊外の山谷は久内氏に引きずられて歩きつくした。葛の大葉は秋の山谷をつつんでいて、風にひるがえるとき、その特有の白色の裏を見せてくれた。
このように普羅と牧野博士とのつながりを思いながら、「葛の葉や」の句を読みなおすと、より深く句を味わうことが出来ました。また、「普羅の風狂は、粋で学究的であった」とする中坪主宰の言葉にもつながっていることがわかりました。
美沙