辛夷句抄(令和6年11月号)

五岳集句抄

古民家の三和土(たたき)に蟇のしたり顔藤   美 紀
秋の夜を眼鏡押し上げ釦付野 中 多佳子
秋晴の金曜を待つ旅鞄荒 田 眞智子
あさがけの農夫睫毛に霧ためて秋 葉 晴 耕
病院に済ます夕餉や鰯雲浅 野 義 信
冷やしたる西瓜をあてにギムレット太 田 硯 星
斑少し梵字めきたり盆の月山 元   誠

青嶺集句抄

九月来る「コキ」と左の膝頭青 木 久仁女
秋の虹仰ぐも一人バスは来ず成 重 佐伊子
蚊遣して受付居らぬ古刹かな菅 野 桂 子
朝顔や弁当四つ詰めし日々脇 坂 琉美子
秋扇開けばバスの曲がり来る明 官 雅 子
稲妻に昼間の疲れさらしけり二 俣 れい子
西瓜割りしてより多弁孫五人岡 田 康 裕
零余子飯湯気もろともに仏壇へ小 澤 美 子
揉み合うて神輿の渦や秋祭北 見 美智子
身の凝りのほつほつ解けて刈田道野 村 邦 翠
手花火の色のこぼるるバケツかな杉 本 恵 子
秋の灯を濃くして五平餅の店石 黒 順 子

高林集句抄

父ははに行く末尋ね墓洗ふ大 谷 こうき

  <主宰鑑賞> 
 盆の墓参りは最も日本人らしい行事の一つであろう。そのための「墓洗ふ」「掃苔」は好んで詠まれるが、身近な故人を偲ぶものや種々の来歴や近況報告などといった内容が多い。それだけに「父ははに行く末尋ね」と彼の世のご両親に真剣に迫る詠みぶりに注目する。安らかに眠っては居られないご両親の驚きぶりも想わせて何とも俳諧味に富んだ一句である。

病名の分かりて安堵秋扇石 原 照 子

  <主宰鑑賞> 
 命あるものは無病で通せる筈もない。昔から一病息災と言われるように病気と折り合いをつけながら生きて行く。仔細は知る由もないが、「病名の分かりて安堵」からは時には増大する不安に耐えつつ各種検査に臨んだ心の推移を想う。猛暑を乗り切り哀感が漂う秋扇が、反って冷静な安堵感に適うか。
  

衆山皆響句抄

息ととのへ古筆臨書も暑気払ひ水 上 玲 子

  <主宰鑑賞>
 古筆とは平安・鎌倉時代の歌集などの筆跡。臨書は単に真似て書くことではない。字の形や意味を汲み取った上で手本を見ないでも書けるようになること。「息ととのへ」も、むべなるかな、である。筆を持って心身ともに集中する時間がどれほど続くのであろうか。心が無になるような境地にも達しようか。自ずから「暑気払ひ」となる空気感が伝わる読後感。)

刈る前にひととき眺め葛の花坂 本 善 成
掴み癖付きて夏帽へたりけり川 渕 田鶴子
三千坊かなたに見えて秋気澄む佐 山 久見子
盆休み余震の続く故郷へ 越 橋 香代子
稲刈も終り父子のつなぎ干す小 西 と み
それぞれの刈田の匂ひ家路急く今 井 久美子
経唱ふ色なき風の只中に 飯 田 静 子
呉羽梨持ちて息子に頼みごと八 田 尚 子
またしても食べ頃の西瓜抉(えぐ)られ立 花 千 鶴
歩かねばとお地蔵様へ鰯雲島   美智子
台風の過ぎたる街を風と歩す斉 藤 由美子
白波を立てて海より九月来る倉 島 三惠子
秋風にふれて見たくて街に出る馬 瀬 和 子
バス降りて昏れゆく道に稲穂の香 あらた あきら
秋潮と変はりし海に手を入れて谷   順 子
じれつたき恋のはじまりデラウェア若 林 千 影
カマキリも地蔵に参る過疎の村谷 澤 信 子

※上記、衆山皆響句抄の各句への<主宰鑑賞>は、俳誌『辛夷』の「鑑賞漫歩」に詳しく掲載されています。

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