前田普羅<26>(2022年12月)

< 普羅26 前田普羅の見つめた「冬枯れの美」>

 今回は、普羅の「冬枯れの中に見つめた自然美」を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅 その求道の詩魂』より紹介します。

(抜粋p76) 枯れて月にも折るる響きせり

 飛騨では救荒作物としての稗が目に入ったことであろう。当然のことながら普羅も詠んでいるが、この句の「月にも折るる響きせり」には驚くばかり。月下の枯れた稗を句材にかくも格調高く神韻たる世界を打ち立てる、いわば立句をなす快感を味わわせてくれる一句である。所収する『飛驒紬』には「草木枯るる」と前書きがあって、「稗枯れて」はあくまでも冬枯れの中でのことであり、「月にも」が冬の月であることが明白となる。直ぐ後には「鉦叩しきりに叩き飛騨枯るる」が置かれているが、この「飛騨枯るる」という感覚が掲句の「月にも折るる響き」を鑑賞する上で大いに助けとなるように思う。
 冬枯の透徹した厳しさの中にある自然の美を愛し、それを見据えんとした普羅であった。それは、「茅枯れてみづがき山は蒼天(そら)に入る」や「枯れ澄みて落葉もあらず黒部川」などの句でもうかがえる。枯れ極まった四囲を「飛騨枯るる」とまで喝破し、己が昂揚感を枯れた稗に託して月光にも折れて響かせる、そんな枯れ稗を厳かに現前せしめうるところに普羅俳句の真骨頂があろうか。

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