前田普羅<8>(2021年6月)
<普羅8 前田普羅の富山移住前③ 普羅の粋 >
前々回・前回と普羅の「狂はしき姿」の句を紹介しましたが、今回は、普羅の一面でもある粋な句2句を、主宰中坪達哉の著書『前田普羅その求道の詩魂』の「普羅と語る」から紹介します。
(抜粋1 p40) 面体をつつめど二月役者かな (大正2年)
句またがりながら「面体をつつめど」と力強く流れる調べも心地よい。いかにも、見つけたぞ、という芝居好きな江戸っ子の眼差しを思う。常套的には「面体をつつんで」とか「つつみて」となろうが、「つつめど」とした「ど」の強い響きにも、たちどころに周りの者にも伝わったざわめきも思われる。「二月役者かな」は切らずに一気に読み下す。
団十郎か菊五郎か、宗十郎頭巾で顔を隠しての忍び歩き、しかも正月も去ってどこか淋しく料峭の風は人をそそくさと往き来させている。が、身に付いた所作は絵になり発する気品や艶っぽさは覆うべくもないのだ。「二月役者」は「にげつやくしゃ」と読みたい。料峭の季節に叶う役者の身のこなしを粋と捉えたのも、江戸情緒も残る明治の東京に育って端唄の一種の歌沢を唄い、早稲田大学に学んだ頃には坪内逍遥に師事して劇作家を目指し、自身でも舞台に立とうとしたほどに芝居好きであった普羅らしいと思えるのである。この句を発表した大正2年は横浜に在るが、一句の舞台は隅田川の川風が頬を伝うような東京の街角のようである。普羅、二十代後半にしてこの艶っぽさである。
(抜粋2 p48) 新涼や豆腐驚く唐辛子 (大正元年)
一読、ユーモラスな一句である。普羅のイメージとは合わないような気もするが、大正元年の普羅初期の作品である。大きくクローズアップされた純白の豆腐と赤い唐辛子との絡み合いには、どこかアニメ童話の一シーンを見るような面白さもある。素材の旨みを巧みに引き出す唐辛子であるから、豆腐としても唐辛子の手の内はとうに承知のはずである。が、今回の唐辛子の味は昨日までとは明らかに違う、とおどけにも似た仰々しさで驚きを見せている。豆腐に活き活きとしたいのちが吹き込まれている所以であろう。
こうした句が生まれるのも、季節の移ろいに敏感であるからに他ならない。新涼の季節がやって来て、その先頭というものがあるならば、それに誰よりも早く触れたかのような驚きを、唐辛子を配した豆腐に仮託しているのである。そうした表現方法を選んだ普羅の諧謔ぶりを多としたい。また、「新涼や」という鋭い切り出し方や結びの名詞止めなど緊密な調べの心地よさは、一句に高い格調をもたらしてもいよう。現在なおユニークな一句だが、発表された大正初期の俳壇にさぞ新風を吹き込んだことと思う。
さて今回は、普羅の粋で楽しい句を紹介しました。普羅の弟子であった中島杏子が、普羅について「少しキツイが人を引き付けるまなざし」(定本普羅句集p644)、「文学道には厳しいお方であったが、人間としては多彩な温い心の持ち主」(同p649)と回想していますが、杏子は茶目っ気のある粋な普羅の魅力を感じ取っていたのでしょう。次回は、多くの方が大好きな普羅の自然詠を紹介します。