普羅3 前田普羅は「雪の詩人」

 辛夷社の地、北陸富山はいよいよ雪の季節になりました。前田普羅も雪の句を多く詠んでいます。主宰中坪達哉は、その著書『前田普羅その求道の詩魂』の「雪の俳句」(p18)で雪の名句を紹介しています。 この主宰が紹介した名句と、『辛夷』創刊号の選者である池内たけしの「仮に雪という句を作る場合にも東京にいても作れそうな雪の句は駄目である。北国らしい雪気分の句でなくてはならぬ。」という言葉(詳細はトップページより「辛夷」の歩みを参照)をもって、今回は、普羅の雪の句の格調の高さ、そして雪国らしい特色を詠み込んだ普羅の「地貌」の句の趣を味わっていただきたいと思います。

 (抜粋)
普羅には、『雪』の絶唱が多い。中島杏子は、普羅を『雪の詩人』とも呼んでいる。
  雪垂れて落ちず学校はじまれり
  農具市深雪を踏みて固めけり
  雪卸し能登見ゆるまで上りけり
   小庭朝暮
  山吹を埋めし雪と人知らず
これらの句には、雪国の人々が負う雪の重みが実感として詠み込まれている。

  春雪の暫く降るや海の上
  弥陀ヶ原漾ふばかり春の雪
天空と山海に束の間の交歓をもたらすかのように降る春の雪である。

また次の2句には、三冬を経た雪がもたらす巨大な力を感じる。
  雪解川名山けづる響かな
  国二つ呼びかひ落とす雪崩かな

そして、次の3句には、「只、静かに静かに、心ゆくままに、降りかかる大自然の力に身を打ちつけた」普羅の俳境が純化した宗教的な神韻さえ感じる。
  雪山に雪の降り居る夕かな
  奥白根かの世の雪をかがやかす
  鳥落ちず深雪がかくす飛騨の国

 以上、いかがでしたか。雪国の自然や生活を知る方々には共感や郷愁、そして雪国のことを知らなくても心で感じられる趣や雪世界の清浄さ、荘厳さ。普羅の句を味わっていただけましたでしょうか。

 普羅の雪の句は、まだまだたくさんあります。主宰中坪は、上記の著書に普羅の雪の俳句の鑑賞を載せ、読者を普羅の世界へ誘います。それらも機会をみて紹介したいと思います。

 ちなみに普羅は山吹の花が大好きだったようです。真っ白な雪の中に埋まって静かに春を待つ、その山吹の姿を感じている普羅。山吹と普羅と雪だけの秘密。花好きな方には、普羅が身近に感じられる句ではないでしょうか。


普羅2 前田普羅の句の魅力 >

 今回は、前田普羅の句の魅力を大きくとらえて、その魅力を味わっていただければと思います。そこで、主宰中坪達哉の著書『前田普羅その求道の詩魂』より「大正時代の立句に学ぶ」(p173)から抜粋して、普羅の句を紹介します。

(抜粋1)

 『俳句』平成16年5月号では大特集「大正時代の魅力」が組まれていた。それは、20人の俳人にアンケート形式で、自らが強い影響を受けた俳人12人の大正年間に詠んだ句、各3句を問うものであった。その中で挙げられた普羅作品を、多く選ばれた順に見てみると次のようになる。 

 雪解川名山けづる響きかな
 人殺す我かも知らず飛ぶ蛍
 寒雀身を細うして闘へり
 春尽きて山みな甲斐に走りけり
 春雪の暫く降るや海の上
 夜長人耶蘇をけなして帰りけり
 立山のかぶさる町や水を打つ
 病む人の足袋白々とはきにけり
 花を見し面を闇に打たせけり
 雪晴れて蒼天落つるしづくかな
 新涼や豆腐驚く唐辛子
 いづこより月のさし居る葎かな
 絶壁のほろほろ落つる汐干かな
 秋出水乾かんとして花赤し
 しみじみと日を吸ふ柿の静かな

 以上、いかがですか。俳人たちの選んだ「大正時代の普羅の句ベスト15」。普羅の句の格調の高さ、壮大さ、深い趣、斬新な表現等々、多様な魅力にあふれています。そして昭和の時代になっても、以下の抜粋2にありますように、普羅の句はより深化していきます。

(抜粋2)

 言わずもがなだが、普羅の俳句が大正時代で終わるわけではない。神韻たる格調高き句風は昭和に入っても変わらない。

 雪山に雪の降り居る夕べかな
 駒ヶ岳凍てて巌を落としけり
 かりがねのあまりに高く帰るなり


<普羅1 前田普羅とはどのような人物だったのでしょうか >

 前田普羅の没後、第2代主宰中島杏子の手により完成した『定本普羅句集』(昭和47年、辛夷社)に、前田普羅の畏友であった棟方志功の「前田普羅先生」という序文があります。この棟方志功から見た普羅の姿が、俳人・前田普羅を端的に語っています。以下、現代仮名遣いに直して、少し紹介します。

  • ああいう、心から、オソロシイほど、本物ばかりで生き、活きた人間というか、あるいは化物の様に凄まじい本性を、いつも、かつも、見せっぱなし、出しぱなしの人間は知りません。
  • 正直以上に正直で、剛直なほど剛直で、あるいはゴウジョウなほどゴウジョウといっても嘘にならない程で、正に曲者でもありました。
  • そして、立派でした。誰がナンと言っても立派な程立派さを持っていました。
  • 心の心まで交ぜ返しをしない人でした。ただ一本に自分の生涯を槍の様に貫ぬき通したといってもよいのではないでしょうか。

 また、棟方志功は、以下の様に普羅の別の一面も理解していたようです。

  • 思う存分に、自分を振舞い通しに振舞いながら、静かに静かに囃しを、おさめた様に―秋風の吹きくる方に帰るなり―そういう人でありました。
  • ナンとなく、ナンとなく、やり切れない淋しさを連れて居る様な影もあった様です。それが、大事で大切な面でもあったかも知れません。

 「世界のムナカタ」をして、このように言わしめるほどの「風狂」で「淋しい」前田普羅を、第4代主宰中坪達哉は「求道」という観点でとらえ、その著書『前田普羅その求道の詩魂』で深く追求しています。

 前田普羅は、山岳俳句の第一人者と言われるように雄大で荘厳な句で有名ですが、その内面に持つ淋しさも併せて、これから「前田普羅のページ」で紹介していきたいと思います。


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